吉川家文書之一(端裏書)「こやうあのあんもん」永安別符ゆつりあさふる所まやう石見の國あらなすのるんふ一方、るらひよ益田莊(寸津)美博磨(壯窪(遞)ますとの右やうけうち、すつ、みまさら、ゑやうのくるらのちとうゑきの〓〓良海事、右件の所でやうハ、母あまずやうらいちうきいさうてんのゑまやう(經兼) (手繼)をる間、明阿よ代々のてつき御下文をあいそへてゆつり給ふ所なり、去嫡子)駿河守、らる間、ちやくしするるのうそ經見放そうでやうとして、かのてつき御下文をそゑて、件ところ/し、ゑいとい成らきりゆつり給ふところなり、大男修理亮興厩此內ゑるん志也りのすけ經春、三あんてんきう丸、るらひよ女子四人、(大) (日)筆るいなのふん、めん〓〓同日えひつのゆつり狀まてかきさふ物なりい(期らんとつらいをおすへららす候、但女子四人、さい女のふんね、一このふ未來領主んをるるししミらいずやう志もい、めん〓〓のゆつり狀にのするものなり、よんてゆつり狀くさんのとし、應安四年かのとの三月廿一日永安寸益期石 250一方美肌博莊窪等地頭職吉川明阿(經兼)經見ヲ總領トシテ之ニ讓與ス庶子等へノ分與同日自筆讓狀(吉川經兼)沙彌明阿御そん二二八吉川明阿〓自筆讓狀(り脫)ゆつあとふる所まやう比事石見國ますとのゑやうせうち、かとちけむらせ田畠、くろくま女一こふんとしてちきやうすへし、一このゝちは、三ふんいちをに、えゆずのすけ(穀物)つねてるちきやうすへし、三分二をい、するらのらミつねえちきやうすへし、よんて狀くさんのことし、應安四年かのとの三月廿一日阿石見ス女くノ益明田出町所謂(Cambonニ讓與沙彌明阿二二九吉川經秋讓狀吉川家文書之一