改定史籍集覽第十三册目錄二第百三十二第百三十三第百三十四第百三十五第百三十六第百三十七第百三十八第百三十九第百四十第百四十一第百四十二第百四十三第百四十四第百四十五第百四十六第百四十七第百四十八利家夜話五百四十立花朝鮮記六百四朝鮮陣古文六百十六大和軍記··六百二十六關岡家始末記··六百四十伊勢國司傳記······六百五十一勢州記事··六百六十一〓須合戰記·六百六十四名古屋合戰記······六百六十八湯淺甚助直宗傳記六百七十一長篠合戰物語·······六百七十三高天神小笠原家譜六百八十一今川記六百八十六深澤城矢文:七百三十八反町大膳訴狀······七百四十一蘆田記·七百四十七武州松山岩村記事七百五十九第百四十九第百五十第百五十一第百五十二第百五十三第百五十四第百五十五第百五十六第百五十七第百五十八第百五十九里見代々記七百六十三里見九代記八百五國府臺戰記··八百五十五鴻臺後記:八百六十六土氣古城再興傳來記八百七十三長倉追罰記··八百九十五國部狀·八百九十八常陽四戰記九百二水谷蟠龍記九百九頓化原合戰記九百十九老士雜談九百二十八嘉吉物語夫春の花の樹頭にのほるい、上求菩提の機をすゝめ、秋の月の水庭にあつむは、下他衣生の相を顯、人間有爲無常のありさま、因果の道理のかれかたき物也、抑嘉吉元年六月廿四日の事成に、當將軍普廣院殿を、赤松殿のやかたへ御申有けり、去程に、山海國土の珍物をとゝのへ、ふるきをやふりて、あたらしくつくり、主殿雜舍申におよはす、前代未聞のありさま、中々申計なし、然所に。あるかたよりひそかに申されけるい、今日將軍の御成は、よきにあらす、赤松の一門と〓〓く日のうちに。御退治あるへきとの御たくみ也けるよし聞えけれい、一門のさわき申にをよはす、去程に。赤松の左馬助殿、ひとま所に立入給ひ、彥二郞御曹司をちかつけ給ひて、おほせられるやうは、抑赤松の一門、代々天下の御用に立、一命をかろんして名を上、四海靜謐におさまる〓と、我々か先祖の忠勳によりてなれい、當御代まても、心さしふかき兵とて、御ふちこそ御入なくとも、御對治あるへきとの一御たくみい、あまりに不便きいまりなき事也、そうして此ほとは、一門御かんとうをかうふりて、入道さひ〓〓の出仕にてなきあひた、此事をこそ明暮侘つるに、思ひもよらす。御成あるへきとの仰なれは、ま〓とに一門一家のよろこひ、この事成とて、有もあらさるもたのしみをなし、喜悅の眉をひらき、案堵のおもひをなし、大慶也し處に、思ひもよらす、一門こと〓〓く御對治あるへきとの御所存、中々申に及はす、所詮思ひ出したる事有、善と云もあくと云も、みな是前業よりあからしむる所也、かやうにおもひ立事も因果にてこそ有らん、後の代のためしに名將軍別記第百七嘉吉物語別記第百七