別記第百七嘉吉物語六かないねは、かくるも引も時にこそよれとて、西の朱雀の觀音の町まへまて引のきけり、然共いきをくれすおつかけゝれい、小林いまはかなはしと思ひて、むらさきの糸のよろひをぬひて、さいこのいくさなりとて、君よりはしめて十二代つたはりたる黑皮のよろひをきて、同毛の五枚かふとの〓をしめ、四尺八寸の長刀、くきなかにとりのへ、大勢の中にわつて入、抑奧州の御內に、小林上野守なり、けふのいくさのさきかけ也、敵にふそくいよもあらし我とおもはんものあらい、いさやくまんと名乘もあへす、大勢の中へきつて入、さん〓〓にたヽかひけり、おかりといへとも、小林運のきいめにや、敵の中より矢一すし來りて、小林か左のまなこをいぬきけれは、たけき心もよい〓〓と成て、終にむなしくなりにけり、一門みなみなちからをおとしける事、申に及はす、弟の三郞も小次郞も、みな〓ゝはらをきりけり、奥州も一日のうちに、天下をうちとらんと、いきほひをなし給しかと、諸方のあひつたかひて、たのみたまひし小林もうたれけれい、心すこくも、たゝ一人御目害ありけるに、御かいしやくさへなくて、內野の露ときえ給ひし事も、是赤松かくんかうにて候いすや、そのヽちまた、和泉の國御退治のとき、先陣を給て、分國の勢をあつめてむかひけるに、駒のあしたち難儀にて、衛門の大夫秀則をさきとして、天下の御勢七百餘人うたれ、それのみならす、惣して天下の御大事に、くんかうをいたす事、たひ〓〓におよへり、かやうの御感こそ、御代替にい御わすれありとも、よしなき大夫か申事に御つき有て、とかもなき我々か一族を、御うしなひあり、ゆへもなく若黨をきつてすてられ、あまさへ我らを御對治あるへきとの御たくみにより、現在にそのむくひありて、我々か若黨の手にかゝり給ふ事、あかしなから、御先祖の御起請に、赤松絕は、我もたえんと、七枚あそいして、八幡と御所樣と我々か家とに御おき有なから、それを御わすれにて、かやうの事をおほしめしたち候ゆへかとおほゑて候、さりなから、今度の事い、さらさら入道夢にもそんし申さす候、さためて京都よりも、討手むかひない、入道も腹切て、みつ勢川しての山にては御とも申へし、もしまた命すこしもなからへ候いヽ、御菩提をいねん比にとふらひ申へしとて、御かりきぬにつゝみたる御頸をひきあをのけて、三度禮し給へは、座中にまします人々も、けに〓といりの御事也とて、みな〓〓ひたゝれの袖をそあほられける、かくてあるへき事ならねは、梅檀くわりんの木をもつて、御輿をつくり、助殿い後、彥四郞殿い御前にて、手すから御こしをかき給ふ、入道殿もわきこしにまいられけれい、其外の一族百餘人、若黨千人はかり御ともにて、御茶毘ありけり、怨をい恩にてほうするとかや、孝養眞實報恩者とゝかれけるとかや、されは涙もさらにとゝまらす、なをも入道殿い、ま〓にに御なけき深くして、せんたんたき木につみこめ奉る所にて、涙をなかし申されけるやうい、あさましの御事や、都にて御いたいりありて、御他界いあるならは、國々の大名たちにあふかれて、貴賤上下御ともにまいりない、さもいみしく御入あるへきに、我々か一門はかり御とも申、御頸はかりを爰にて御けうやう申、すかたは都にとゝまり給ふ事、いたはしきかな、かなしきかなや、よく〓〓一念い御うらみあるとも、二念を御つきなく、現在の御かたき我々計とおほしめし候はて、過去の因果ほうへん別配第百七嘉吉物語