別記第百七嘉吉物語十れさるにや、赤松方にいろ〓〓の物いひ〓といてきつヽ、但馬口へ山名殿大將にて京勢三萬騎はかりむかはれしか、赤松方うちまけて、龍門寺殿い腹をきり給ふ、上原備後守もうたれて、京勢國中へせめ入よしきこえしかは、うしろをつヽまれてはかなふましとて、手に入たる敵をうちすてゝ、又坂本へ引ありそき給ふ、去程に赤松勢、ここやかしこにおち行つゝ、手勢わつかになりしかは、坂本をうちすてて、みな〓〓木の山の城にそたてこもられける、さるほとに、京勢夜を日につきてつゝく程に、追手讃州のせいと、からめ手山名殿の勢とひとつになりて、もみあいせ、木の山の城を取まはして、息をくれす、せめたゝかふ、本より名城なりしを、いよ〓〓こしらへたりけれは、すこしもさはかす、ふせきたゝかひけるほとに、おつへきやうこそなかりけれ、かゝりける所に、城のうちには運命のつきたるにや、赤松伊豫のかみ、同ひたちの彥五郎との、三百騎にて、京方へうらかへり給ふ、是すなはちかやうのたくみを、天下の御敵になりまいらせ侍らん事をかなしみて、かくの〓とく降參ありとそ聞えける、ゑかる間、あかまつ勢おもふよう、一番に御はらめさるへき御一門さへ、御うらかへり有は、いか樣こゝろ元なしとて、みな〓〓かくれあのひておちけるほとに、城にい御勢のこりすくなくなりにけり、さるほとにあかまつとの、今はかなはしとおほしめして、御曹司彥二郎殿をちかつけて仰あるやうは、かく有へき事いおもひさためたる事なれとも、いまさらのやうにこそおほゆれ、此城たゝいまおつへきならは、大勢せめ入て、雜兵の手にかゝらんもくちおしけれい、それかしは心あつかに腹をきるへし、汝は是より伊勢の國へ下りて、國司をたのみ侍へし、ちうおんのものなりしうへ、又內緣といひ、よもみはなさしとおもふなり、さりなから、たのまれさる物ならは、熊野のおくにおちゆきて、よからんする出家をたのみ、もとゆひきりあのひて、世をまつへしと申されしかは、彥二郞殿聞給て、なみたをなかし申さるゝやうは、仰はもつとも去事にて侍れとも、天神七代地神五代のはしめより、今にいたるまて、親子のわかれをは、かなしむならひとこそうけたまいれ、いかにいはんや、弓矢とりの身として、親をみすてヽ、わか身をたすからんと思ふ事、まつたくもつて有へかすと申さる、その時入道殿い、涙をおさへてかさねての給ふやう、何事もうやまはゝ、あたかへと申たとへあり、なんちたとひ我と一所に腹をきりたりとも、親子は一世のちきりなれは、又むまれあふ〓ともなきとこそきけ、今入道か命をそむく物ならは、我よみちのさはりと成て、こゝろうかるへし、汝はわかきものなれは、あとにとゝまりて、我かこ世をもとふらひ、又は自然の代をもまち侍るへし、けに〓〓入道かいふ事をきかぬ物ならは、弓矢八幡も御照覽候へ、二せまての勘當そとのたまひしかは、其時彥二郎殿、此うへはちからなし、ともかくも仰にあたかひ侍へし、さらは御最後の御さかつきをたまいらんと申されしかは、すなはち安積御酌に參りつゝ、たかひにさかつきをさしかはし、御いとまこひを申されて、御曹司はなく〓〓御前立給ひけり、さる程に彥二郞殿い、こゝふの兵六十人はかりめしくして、よにまきれ、敵の大勢にてとりまはしたる中をとをらせ給ふに、彥二郞殿も左馬助殿も、兵法をきいめられし威德によつて、なんなくおちられけり、さて室の津にいたりて、ふねにのり、別記第百七嘉吉物語