別記第百十九佐柿國吉之城粟屋越中以下籠城次第ん輩いならひ(並〓)なく候一可勝合戰可取城責之時吉日をえらひ方角をあらへ時日をのはす事口惜候いかにもよき日成其大風に船を出し大勢にひとり向い其再(並〓)有間數候惡日惡方なりとも見合により諸神諸佛八幡摩利支天別而情誠をいたし候信心を以戰はれ候はヽ可被得勝利候一年中に三か度はかり器用正直ならん人を申付國をめくらせ土民百姓之となへを聞其沙汰を「敗られつかし」(可被致候〓)少々い形をかへ自身も可然候一伽藍佛客(閣カ)〓町屋に通られん時い馬をとゝめ見にくきをい見にくきと云よきをいよきといはれ。(候ハ〓)ていたらぬものなとい御言葉かゝりたると申あしきをなをしよきをいなをたしなむへし造作をいれられす國を見事にもちなすもこゝろひとつによるへく候惣別物事にあしきをい退治しよきをい譽理非。(善〓)惡敷をたゝすを慈悲の殺生とい申候賢人聖人の語を學ひ諸文を學したりとも心へんくつにてい不可然候論語なとにも君子不重則不威なとゝあるを見て偏におもきなとゝ心得るいあしかるへしかろかるへきも時宜時趣(題じ)によつてその振舞肝要候國をたもつ〓(者〓)い晝夜めをはなさす工夫いたし諸國の名人を集め其語を耳に挿仁義禮智信を第一に行い子々孫々まても家門久しかるへし云々右覺書若狭州織田村半大夫祖父記之云々右宇佐美本を以比校畢文政元年九月九日佐柿町奉行字佐美庸助重行此記錄ヲ寫シテ奥書ニ山東〓佐田村田邊半太夫家之日記也本書者空山公御覽戰國ニ委シク記置且ハ恙ナク戰國ヲ經目出度モノヽ自筆御所望之由被仰出差上候其節寫被仰付被下置半太夫家ニ所持ス粟屋氏於彼宅連歌ノ短册モトモニ所持シテ于今有リ享和三亥正月佐柿にも此戰の首尾書たる文書あり聊文飾ありて此書より事實疎し伴信友右以武邊叢書本再校了明治三十五年一月近藤圭造