別記第二十四別記第二十四中將信雄〓を若君十五才にならせ給ふ迄爲御名代諸事御計ひ有へしと是も安土山に置奉り尊敬す頗君臣親愛之體魏然乎可謂忠臣矣素秀吉卿い眞小輩之人なるか數ケ國を領するのみならす若君を守立るといふ名のみにて實い天下の政務此人に有しかは故將軍の如く威逐月加り祿逐年增是偏に離倫の才智絕類の武勇に因てなり然るを小智小見なる傍輩是を妬み是を惡く事甚以淺からす取分深う妬み思ふは修理之亮勝家にそ極りける京童秀吉卿に便り幸いみしき者を柴田方の町人うらやみつゝ越前に至て秀吉卿威勢の程を語りしかい妬心日々に生し怨憎月々に生す是誠に古今不易之同情なり因之勝家與瀧川左近將監一益緣者の事なれい相議し謂けるは秀吉今若君を安土に置奉りおのれ後見として天下の裁判自由本十字未及其罪事業並書見おいに其津法人女なに備える者に就萬國なん去兩葉則後斧柯を用ゆへし然間織田三七信孝に此有增申上秀吉を押下さんとて計けるかくて丹羽五郎左衛門尉長秀へ此趣に與しくれ候へと御賴なされ可然候はん旨瀧川指圖有により信孝より三宅中記を以て委細に被仰けれい長秀承り奉り仰御尤に候然は若君を秀吉取立申をいなみ思し給いヽ先若君を岐阜へ御取もとし被成急度御後見之義成へきと思し候いゝ此催し宜しくおはしまし候はんや秀吉後見を嫌ひ誰やの人其沙汰に及候共若君幼稚の間い惡口兩說絕申間敷候能々御思惟可然おはさんやと計にてゑかと與し申へくとの返事いなし長秀思ふやう天下の裁判い中々勇猛に達したる計にてい古今ならさる例和漢甚以多し武勇を以せい柴田方い十に八九目出度事こそ多かめれ其を如何といふに第一柴田い信長公の老臣におひてい武勇の長たり殊に北國にい前田又左衛門尉佐々內藏助不破彥三原彥次郎なといふ歷々の勇者多く有し其上勝家甥にて侍る佐久間玄番允舍弟久右衛門尉同三左衛門尉同源六郞何れもたしかなる者にて矧武備あり是偏に柴田に對し肩を比ふへき人なき事瞭然たり夫天下之器にあたる地位い能人を知て其用實有て度量大やうにのひ才智盡に武勇に達しなから武を以事とせす賞罰兩輪の如く用と云共賞をい强く罰をい弱く施し何事も理の正に當りてせは〓〓あからず法度の立へき本い己を正しくし他を惠む事も大やうに廣く衆を愛し民を撫育し財實を愛せす專威の柄を能く養ふ類ひに有予久しく信孝勝家一益之行を窺ふに武勇を以事とし其外は勝れす是鳥にしていはゝ羽翼片々有か如し如何そ自由を得んや秀吉卿は勝家より勇功は少けれとも江北淺井父子を敵とし小谷の城に向ひて對陣し終に得大利其後播州强敵の中に在國し是も又程もなく一國平均に治しなり一國より六國を亡しつる秦威に似たり殊に勇猛も且備り才智い古今に獨步せし程にも見へしか秀吉天下を舒卷せん事掌握に覺ふなり勝家得大利事有共若君をないかしろにし給ふへし周公旦の〓なるい昔さへまれなりき今の世日本にしていかゝあらんそなれは何れとてもはか〓〓しき事い有へからす同しくいともかくもならはやと思ふなる由戶田半右衛門尉高木左吉坂井與右衛門尉なとに對し悲嘆の形勢い尤深し大方い秀吉天下の器にあたれり惜乎華麗に身を勞し自己の榮花こそ天下國家を知ての本意なれと思へり又翫物喪志之癖も有若是等の癖病なくは賢君にそ有けめ何としても天下の器にちかし天下の器に當る才い天のなせる所也天の