別記第二十四別記第二十四賤嶽合戰記卷上川井口邊今日放火いたしつるよし聞給ふて扨も殘多事かな今半日早く着陣せい悉く可討留者をと蹉をして千悔し給ふかくて翌朝賤岳近邊へおし出す惣軍勢を十三段に備へけり一番堀久太郞二番柴田伊賀守勢三番木村小隼人助堀尾茂助木下將監四番前野勝右衛門加藤作內淺野彌兵衛一柳市助五番生駒甚介小寺官兵衛明石與四郞木下勘解由左衛門大鹽金右衛門山內伊右衛門黑田甚吉六番三好孫七郞殿中村孫平治七番羽柴小市郞殿八番筒井順慶九番赤松次郞蜂須賀彥右衛門伊藤掃部之助十番赤松彌三郞神子田半左衛門十一番長岡與市郞高山右近大夫十二番羽柴御次丸千石權兵衛十三番中川瀨兵衛其次い秀吉小姓馬廻弓鐵炮一萬五千を三段に備へしか十三段をい峯より岑を傳へに鶴翼に備へけれい小國より察し見る事區々にして十二萬餘騎と見るも有十萬に及ふへしと云も有けると也秀吉の先備八首い弓鐵炮也敵味方先手間十町に過へからす鐵炮足輕のみにて其日い相引にしたりける敵合戰を挑ならい勝負迄こそなく共はつれの合戰い有へき事也然るを敵不取合ハ覺束なく秀吉卿思召翌日未明に足輕にまきれ古老の者十騎計召連峰によち上りて敵の屯を見給ふに急に破つへうも見へす又敵より責かゝりて可討果やうにも見へす極る處い彌々取出之城々普請等丈夫に拵へ能兵共を猶加勢し先惣人數をい打納宜敷からんやと老臣に相議しけれい可然おはさんと也因之伊賀守勢を入置し天神山之城い聊出過益なし賤嶽合戰記卷上とて十町計引退き本山に要害を拵へ給ふ左ね山をも彌丈夫にこしらへ堀久太郞を入置志津岳の尾崎に中川瀨兵衛尉其尾七八町北の方高山右近大夫賤ケ岳の城にい美濃守內桑山修理亮田上山い小市郞殿本陣として居城也遊軍い蜂須賀彥右衛門尉生駒甚助神子田半右衛門尉赤松彌三郞明石與四郞小寺官兵衛尉其勢一萬五千なり何れによらす弱き所へ可助成との事なれい木本邊に宿陣してけり海津口の按へにい丹羽五郞左衛門尉一萬長岡與市郞三千にてかためたり去とも長岡い歸陣有て海賊舟を用意せられ越前の浦々に著岸し在々所々放火有へきとの事にて三月初旬歸陣に及ひぬ〓〓〓順慶なともまつ歸國有へしと使者有秀吉も至長濱打納人馬を可休と卯月朔日引給ふ伊賀守病氣逐日重りもて行まヽ上洛し侍りて加保養可然の旨にて卯月五日上京あり柴田伊賀守家來山路將監謀反露見之事本山の要害に心を變する者有よし誰ともなしに云出しかは木村小隼人佐を本丸へ入大鐘藤八木下半右衛門山路將監を外輪へ出し用心嚴しく見へし處に山路卯月十三日之朝小隻人亮へ茶を申さんと約し用意頻也此企い木村を討て柴田か勢を本山へ引入んとの隱謀とかや然を其夜子の刻計に木村か門を扣く者有誰そと番の者共問けれい御本陣より急用の事にて有そ先門を啓き候へと云しまゝ隼人に其旨〓し處大崎右衛門聞候へと有しかい即出むかひ何用の御事そ承り候へしと云し時いや御本陣よりの御用にい非す候伊賀守具臣野村勝次郞是迄參たる由申候へと有に寄て大崎立歸り其由申けれいさらい內へ入よとて近習十人計野村別記第二十四賤嶽合戰記卷上