別記第二十四賤嶽合戰記卷上出道の兩邊に待せよ米錢の費倍々の算用をとけさせ遣すへき旨能々申聞せ早速持出候やうに油斷致されと被仰付けり斯て弓鐵炮小性馬廻其組頭〓〓へ柳瀨において大利を得る事出たるそ早々拵へ出候へ腰兵粮のみにて輕々と出よと被仰觸けり堀尾茂助を召てひそかに仰られけるい其方か一命を請事有そとよ汝い當城に殘り候て若氏家內膳正か心變りなる色見へしかい能に計ひ候へとあめやかに賴れけれい堀尾御諚畏て奉りぬ一命を進し置事い本來左もあらてい不叶事也然共當城の主と申時分からと云某一人い如何侍らん云れとても御指圖次第にて候へと申上けれい其方好の者十人程殘し置へきそ好み候へと仰けりいや十人まても入不申誰彼六七人御殘し候へと申上即堀尾い殘りけり山路將監進中入欲遂宿意企之事同十九日早朝監將佐久間玄番允に云樣ハ羽柴筑前守一昨日至濃州令發向由候其意趣い三七殿今度勝家を救はんと思召秀吉に對し敵の色を立させられ氏家稻葉か分領を放火し給ふに寄て信孝を退治せんとの義也とかや然い信孝御志しの程を救給はてい不叶事にておはさんか如何思ひ給ふそやと云けれい尤助成申度事い飛立計なりと云共大山を隔て其間に大敵やあれい不及了簡事共也何とそ救ひ奉らん衆もあらい承度こそ候へと云し時山路囁きけるい上方より北國勢押へ置し取出共の普請い何れも丈夫におはしまる候余呉の海の東なる中川瀨兵衛尉か有し要害い多くの取出の城ともを隔て敵間遠きを賴みとして普請以外形計に拵候しなり是を討んなとゝい上方勢思ひもよらさる所也然い討不意に同し不意を討に利のなき事い稀なる事也秀吉濃州出勢い折を得たる幸ひに候いささせ給へとあり〓〓敷重てすヽめけれい玄番いとヽ進度折ふしなれい即同心しさらい取出の城々押への勢を勝家へ問ひ奉り定めんとて同日午の刻匠作の陣所へ玄番久右衛門兄弟同參して其旨相議有運の盡なん驗かや勝家も如何あらんと不及思惟てたての事共を聞屆け宜しからんと同し給へり西の方二ヶ所の城の押へには前田又左衛門尉利家子息孫四郞利長志津岳のおさへにい原彥次郞安井左近大夫堀久太郞取出をい勝家おさへ置へきの條心安く働候へ歸陣にい海道を直に退候へ必宿陣すへからす今日中に引取候へしとて廿日の早朝に暇乞有しか是そ最期のいと間乞とい成にける先陣い不破の彥三德山五兵衛尉佐久間久右衛門尉大將n玄番允都合其勢一萬餘騎余呉の海をつたひ山路をたとり〓〓急きしかい漸夜も白みあへりぬかゝる處に中川瀨兵衛尉か者とも馬をひやしに余呉湖さして來りしを押へ取て軍神の血祭にそあたりける伴ひ者共逃歸りて味方の勢かと見し處に太田平八池田仙右衛門尉か馬取を四五人切て候急き御出合なくい危き事に成へく候やとのゝある張番の士聞もあへす鐵炮を以防戰ふ處に賤ケ嶽の要害より中川瀨兵衛尉高山左近其勢六千おり下りて三尺計高き土手を隔て不破彥三佐久間久右衛門か勢と揉に捫て防戰ふ互に勝劣もなき武士なれい入も立す入いる事もならて勝負まち〓〓成し事數刻に及へり玄番思ふやう奧平九八郞三州長篠に籠城し極軍をひらく時鳶の巢山の陣屋を燒立しかい武田か勢跡を燒立られ度に迷ひし也あの要害の麓へ廻り下小屋を燒候へ去程ならい敵跡をやかれ度を失ふて敗北せん事疑有へからす急き德山より