い相悅ひ眞先に石川兵助なとすゝみ行けるに福島市松加藤虎之助同孫六郞平野權平脇坂甚內糟屋助右衛門片桐助作等我おとらしと引付し處に玄番拜〓五左衛門をよひ先手危く見ゆるそ能に計ひ候へしと云しかい引へき所を引すして如此成來り今更計ひになる物かと思ひしか共面もふらす引かへしけれい淺井吉兵衛尉山路將監宿屋七左衛門尉も倶に歸し合せしか拜〓眞先に鍵を打込とひとしく石川兵助と名乘出鍵を合戰ひしか共に打死してけり渡邊勘兵衛尉淺井喜八郞淺野日向守い堀切を跡に見なし嶺わきを追立行に加藤虎之助同孫六彼十人計の小性衆曳々聲を上すき間をあらせす追立行にこそ吉兵衛將監も余吳の方なる谷へ心さすやうに見へしと否渡邊勘兵衛淺井喜八郎見知りたるそと詞をかけし處に心得たりといひ鍵を以向はんとせしか如何いしたりけん二人ともに谷へ落まろひしを麓に有し大鹽金右衛門か手へ討取し也柴田三左衛門尉い足をも亂さす手負共をも打かこひ二十町計引取けるに秀吉卿の小性衆ひたと付て追行處に前田又左衛門尉茂山の麓高き處に二千餘の勢を二段に備へ有しを便りとして佐久間久右衛門逃る味方を左右におし分路とヽまりゑはしか程在し也玄番今日の軍いこらへかちなるそと大の眼に角を立下知しける處に原彥次郞進み出我々い左樣に不存也けふの軍いひかへ行程敵の勢い彌重りて厚く味方の勢い見るか內にうら崩れすへく候願くい只今一合戰候へかし先い十萬騎成とも某さはき可申候今朝我勢敵を度々突くつろけ手なみの程を能見せ候へし然にや予か殿にい得も付さりし故後い心安く引候へつる因之かくい申候そ一番合戰をい吾々致候はんと押返し云しか共玄番允諫を防き用ひさりし也案の如く末舌の根もかいかさるに南方の勢谷よりい水のわくか如く溢れ上り峰よりい吹飛木枯のやうに寄合勢十重廿重に厚く成行しを北國勢のうらにひかへたる弱兵見驚き色めき出しを丹羽五郞左衛門尉長秀すい〓〓時い今なり惣かゝりに懸れや者ともと金の馬あるしをふらせ瞳とかゝりしにこそ玄蕃允佐久間久右衛門か勢惣敗軍にい成にけり有人曰北國勢之內七本鍵の衆と鍵を合せしと云しも多かりしとかや此相手い拜〓淺井山路宿屋なりしか三人い討死し宿屋い退し也玄番兄弟か勢廿計鍵を以拂ひ引にせし內に小原新七宿屋七左衛門安彥彌五右衛門尉水野助三なと鍵を以拂ひ退にしたりし間廿町許の內に鑓もあふへきか丹羽甚太郞前日手を負し故其鍵にいはつれたる由甚太郞語りし也勝家敗北井毛受勝助忠死之事柴田勝家小性馬廻其勢七千餘騎堀久太郞か用害東野をおさへ對陣せしなり玄番允勝にのり引取さるを悔み怒り急き引取候へと使者數波を立云やりしか共不用引さりしかい其道にくらき者也と散々にのゝしり腹立して在し所に如案夜半の比より四方物さはかしく成出何共なふひそめきあへりぬ是いいか樣不可然事成へしと家老とも勝家の陣に集りつゝ玄番引取さる事に付て千非を悔ける處に秀吉夜前夜通しに多勢を率し濃州より至此表今曉著陣の由何方ともなく沙汰しけれい軍中雜說を云爰もかしこも以之外さはき出怯弱なる者ともい多く頓疾虛病をかまへ夜の間に落しも有悉く色を失ひ度に迷ふ體はか〓〓敷事あらしと思ふ