別記第百二十四別記第百二十四に言葉もおはしまさす候急き湯漬を出され候へと心靜に食し瘦さる馬を所望し急き給へり利家も送候はんとて立出られしを辭し返し候ひけるか又よひかへし其方い筑前守と前々入魂他に異なり必今度の誓約をひるかへし安堵せられ候へと云捨てわかれにける評曰勝家至剛なるに依て斯成はてゝ府中の城を疑ふ心もなく立寄誓約をゆるし侍る事神妙也又左衛門尉も送らんと立出しも又道也時により人に依て勝家を討安堵を求んか勝家柳ケ瀨表より卯月廿一日の暮程に歸城し柴田彌右衛門尉小島若狹守中村文荷齋德庵中村與左衛門尉松平甚五兵衛尉なとをめし寄今日の敗軍玄番允大利にほこり早速不引取故越度を取某一代の功名を一時に亡し無念なる次第とうかう云に及れさる事共也よしそれも前世の因果なるへし此上い急き丸々の人數を其くはりをせよと云れしかい玄蕃の者共其外心もあらん者い籠候へと彌右衛門尉等廻文してけり右之旨承り覺悟を極め來りし者を記付侍るに一番佐久間十藏十五歲是い去春前田又左衛門尉か聟に成し者也十藏家來の者諫けるいいまた幼少の御身なれい籠城し給はても苦しからさる事にて候殊に利家い府中の城に安堵のよし奧村かたより申越候急府中へ忍はせ給ひ宜しかろんと達てとめし時いやとよ父帶刀勝家へ背き信長公直參となり安土に在しか喧嘩の座に連り果し事汝等も知所也其比幼稚に有しを勝家よひ返し莫太の領地を給りし其恩不淺是一ツ利家緣者に成侍らすい母への孝行にとうかう世をいとひてもみんか又左衛門父子のちなみを便り一命をつかん事取分汚らはしく覺ふ也是二ツ名字を汚しぬれい先祖へ對し不孝有是三ツ旁籠城すへきの理爰に有とて終に籠りぬ二番松浦九兵衛尉是い常に玄蕃の內にして城を預し者也法花經信者にて小庵を結ひ上人をすへ置しか此上人現世にて報恩謝得し侍らんと籠城に赴しを松浦達て諫め止めしか共是非同道せんとて籠りぬ九兵衛郎等も二人供してけり或曰松浦つねいあらましき者にて有しか情をかけんと思ふ者にい〓く其沙汰有し者にて家來も忝存せしか果して兩人追腹せし也三番松平市左衛門尉い玄蕃允につかへ賤岳にてよき高名をし手を負侍りし故昨夜退來たりしか父甚五兵衛籠城たりしにより籠りけり勝家も急き賀州に至て城を守れよと云れし時君を見すて父を見捨命を全せし者よと諸人の舌頭にかゝりない松平の二字を汚し侍らんまゝ何れの御門なり共御預け候へ隨分防き戰んとて出さりけり四番溝口半左衛門尉是い養子伊賀守北の庄之田屋の守にし侍りし故常に當庄に在し也今世武名且香しき龜田大隅守父これ也勝家も汝い予か臣にも非す急き出よと有し時いや左にいおはしまさす候伊賀守不孝の罪を謝んため何れの權成共請取奉らんと堅固に申つヽ果畢五番玄久是ハ古しへ匠作になれむつひたる物にて有しか痛手を負奉公ならさる身と成ぬ是に因て地下人になし豆腐屋になれよとて大豆百俵年給し侍りき來世にても豆ふうを上奉らんとゑとけなけに云つゝ切腹す六番山口一露齋若大夫一年上坂大炊助筆右兒玉