別記第百二十四別記第百二十四ひつゝとこやみと成にけるとうかうせしまに秀吉公著陣し給ひ愛宕山へ打上り此くらやみい自然の幸也是を便りに本城の堀きはに着竹東を付よ必聲はし立な聲あらい弓鐵炮を招くなるへしと制給へい何れも相意得靜まりかへりて竹束或い疊あるひい戶なとを以てかこみし也良有て煙風にまかせ東すれい四方の寄手本城の堀きい迄附たるを本城より見で驚きあへりぬ城中よりねらひすまして鐵炮を打けるに浮矢は更になかりし也取靜めたる體さすか名將の籠城とは見へにけりかゝる處に柴田權六佐久間玄番允を生捕て秀吉へ斯と披露有けれい可然事也とて褒美尤厚し去二月迄權六い當城の主玄番允い賀州金澤の城主たりしか扨もと云て涙催す袖のみ多し見る者榮衰日々に替りぬるといかやうの事にこそとて痛も有て因果の程を思ひ煩ひぬ秀吉卿能に計ふへしと山口甚兵衛尉副田甚左衛門尉にそ預らる兩人請取宿所へ引入小手をゆるし行水を參らせ帷子を前に置い心ある哉とて着し侍りぬ評曰秀吉勝家興亡の故を勘へみるに勝家い文道をさみし下し武道をのみ聞を事とし或い政道之損益をも不問或い依怙最負かちなる事多酒宴遊興に長し世を短ふ思ひ取し故也因之養子伊賀守か恨あり伊州家督まてこそなく共玄番允兄弟程にも親愛あらい何そ父子の因を變せんや伊賀守理い有と云共無道の罪にい究るへし秀吉卿の才智い世に勝れ殊に氣體實せしに依て去年の春備中に至り出勢有しより以來一日片時も休息の間もなく遊興といふ事もよそに見自他之勞を盡されしにより不期大利而大利不意に至る事多かりし也此一勞をよく思へい高麗迄も達せし也殊に秀吉い明智を討亡し亡君の御葬禮をも執行しい信長公へ眞忠有公御連枝〓世臣親臣多しと云共何れか秀吉卿の忠に似たるも有や天是を爭か救ひ給いさらんや能思ふへし大事に及てい天心に叶されいならぬ物也人力のみを賴むいおろかなる歟勝家切腹之事廿三日午前に攻鼓なとを止よはゝりて曰昨日廿二日之夜山中にて御子息權六殿並玄番殿を生捕て參候あな痛はしき御事にて候と呼はりぬ是より城中ひそまりて音もせす其後い請取し門々を防き守る計にてゑか〓〓鐵炮も打す夜に入とひとしく殿守之上にも下にも廣間其外櫓々なとにも酒宴はしまりけり勝家盃に向つヽ一族他家の人々をよひ並へ被申けるいあの藤吉郎猿くわしやか爲にかく成果る事無念之次第とうかう云に及れす所詮酒呑て明日いうき世の隙をあけほのゝ雲と消なんとて文荷齋それ〓〓と有しかは名酒の樽共あまた置ならへ種々の肴を出しつヽ酒宴こそ始めけれ彌右衛門尉に申付何れの櫓にも酒を呑候へと樽肴給りしかは何方も酒宴の聲々聞へけり小谷の御かたへ勝家さし給へは一二酌て又返し侍りけるに匠作も數盃をかたふけ文荷齋にさし給ふ小島若狭守い酒宴の半にも四方を見廻しつゝ其品露心に忘れさりしかい心を安んしゆるやかに酒をそ愛しける盃も度々廻りけれい漸終なんとす勝家小谷の御方に被申けるい御身い信長公の御妹なれい出させ給へつヽかもおはしますましきと有けれは小谷の御方淚くませ給ふて去秋の終岐阜より參かくまみへぬる事も前世の宿業今更驚くへきに非す爰を出去ん事思ひもよらす候あかはあれと三人の