別記第百二十四賤嶽合戰記卷下三百七十八息女をい出し侍れよ父の菩提をも問せ又みつからか跡をも吊れん爲そかしとの給へいいと安き事なりとて其よし姫君に申させ給ふ姊君いやとよ母上共に同し道にゆかん物をとなき悲ひ給ふを文荷齋其わけも聞入す御手を取引立三人出し奉りぬ小谷ハ方ハ〓井備前守の後至三女ハ則備前守長政の息女後秀吉の室淀-の妨か其夜半の鐘聲殿守に至りしかい御二所深閨に入ぬ彼四面楚歌の夜の夢楚王虞氏か深き一女也恨もかくやと思ひ出にけり何れも櫓々へ引入まとろまんとすれいはや郭公雲井に音つれ別れを催し侍るに小谷御方さらぬたにうちぬる程も夏の夜の別をさそふほとゝきすかな勝家夏の夜の夢路はかなき跡の名を雲井にあけよ山時鳥節義に當て不變者なれい同し道に侍らんとて文荷齋契あれやすゝしき道にともなひて後の世迄も事へ仕んとなん詠ありけれい匠作猛き心もそれならす見へてさらに袖をそ濡されける小谷の御方其外數々の女房達念誦稱名の聲哀れをとゝめけり若狹守文荷齋殿守の下に込草をつみ置兼ての用意殘處もなくさたし置しかい心靜に火をかけ半燃出るに及て雜人原をい出しさて勝家のおはしましける五重に上り下いかく仕まい申候御心靜に沙汰し給へと申上しかい流石か最期いよかりけり男女三十餘人同し烟と立上りぬ勝家の氣象常にしも違ふ事それ〓〓に感文荷齋をなし卯月廿四日申の刻にそ終りにけり上村六左衛門尉裁判之事匠作上村經かたひらの出立にて籠城せしかい勝家の曰扨も賴母敷見へたり去共汝い末森殿の姉同息女此行末可然やうに計ひ候へと有しかいいやそれい兎も角も成給いん間何れの御門成ともかため申さんと達て望みしか共是非出て彼人々をよきに計ひ候へ忠義たるへしと有しに依て涙共に出て末森殿へ參いさヽせ給へ一先落候て浮世の有樣をも御覽し候へと諫つヽあやしけなる乘物に二人の人々をのせ參らせ椎の谷の奧へと心さしけるか竹田と云里に至りて思ふにいや〓〓深く山に入ない北の庄の便りもまれなるへし是に一兩日滯留しよしあしの事を聞てんやとせし處に廿四日申の刻に北庄之殿守炎上とおほしくて煙事の外にそ見へにける扨い匠作御切腹にこそと上村思ひつヽ兩人にむかいて北庄もかく見へ給ふ間御覺悟なされ候へと云しかい常々怙み給ひし彌陀の名號に向て心靜に稱名し給ひ硯を引寄給ひ今こゝに六そら餘りの日の數を唯一時にかへしぬる哉息女も同し硯にて思ひきや竹田の里の草の露母うへともに消ん物とい末森殿南無阿彌陀佛〓〓と唱つヽ首をうけさせ給ふとひとしく御首い前に落にけり息女も名號にむかいつゝ母うへ上品上生に導給へ勝家御父子玄番殿文荷齋何れも同し蓮の臺にむ