候を出し敵のやうを窺い昨日のことく敵も斥候のやうにひそかに備を出し一戰をなすへきにて候さあらんにい某か一手に誰にても一頭相添られ候へ旗本迄もなく某一手にて一戰を手いたふ仕候ハ輙敵をい追崩し候いん敵機を屈せい大軍たりとも必定打勝へく候若又仕損したらんにハ敵備をみたし追來たるへし其時中備御旗本にて押返し一戰をとけられい追來る敵をい輙く追はらいるへきにて候兎角某先手仕へきにて候と申けれい宗茂の一老なるうへ既に太閤も日本又內の七本の鍵柱と被仰程の和泉なれい誰あつて不及異儀宗茂も和泉か申所けにもとや思いれけん立花三左衛門と和泉を相備に立らる池邊龍右衛門進出て申けるい此小人數を日本の軍のことく備をあまたに分て敵對せは爰かしこに隔られあしかるへく候唯前中後三備にして然へく存候と申されけれい宗茂もさ思ふそとて先備い小野和泉立花三左衛門中備ハ十時傳右衛門後備い宗茂と如此定らるヽ處黑田長政其日南大門の守護也日暮て隆景陣所に來り宗茂をよひ明日一戰を决らるへきよし大に不宜候と申されけれ宗茂申されけるい所詮敵の色を見すして合戰仕へきとも仕間敷とも申かたく候明日罷出敵を見きり時宜によつてこそともかくも仕らんと申されけれい隆景も長政も尤に候左候いヽ自然合戰をはしめられんにい早速告知らさるへしとて長政宗茂陣所に歸りぬ其夜丑の刻許に宗茂十時但馬森下備中と云者に足輕二三十人相添斥候の爲に差出さるゝに敵い前日勝利を得て宵より勢を出し都近く押寄人數を爰かしこに伏置たり備中但馬流石武邊功者成によりはや其色をさとり少高き所にあかり鐵炮五六拾挺打はなさせしかい敵の伏勢大にさいく高き所に少森有陰に敵二三百人も伏てあらんと見えたるに態と鐵炮をいうたせす但馬備中四五十騎一度にかけ込けれい敵立足もなく敗北す其儘六七町引取すつはをとつて敵勢一萬餘り早天より押出人數を伏て相待候東白みに成候いヽ諸勢大軍にて續き申へきと存候早々御馬を出され敵の先勢を追拂いるへうもや候と申送けれい其儘に宗茂人數を押出し都を三里計も出たらんと覺しかい日出けり敵合間近なり先陣既に鎗を合すると見えし處に中備の十時傳右衛門先備に唯一人懸込和泉に向て各い中備にくりかへられ先を某にせさせて給候へと申けれい和泉大に腹を立御邊軍法を破而已ならす何の覺有て此和泉を越て先せんとい申さるゝや思ひもよらすと申けれい傳右衛門泪を流し不覺に各を存候て申にてい諸神も照覽是なく候敵い目に餘る程の大軍にて候へいいかに各勇機を勵れ候とも人の根機も左樣につヽかぬものなれい貴邊兩人の內一人もかけられい宗茂の備大によいるへきにて候某先を仕り善惡に付敵の備亂るゝ時各一戰とけられい一定味方の利蓮と存候此軍をはしめ今日い大かた日本高麗分目の軍と存候へい日本の爲且ハ宗茂の爲に候へい加樣に申にて候そ八幡大菩薩私の軍功を立ん爲にいあらすと申けれい和泉をはしめ各感淚をなかし備をくりかへ傳右衛門に先をさせたり先手敵に逢と一時に都へ合戰始めたるよし申送らる是によつて毛利輝元備前宰相小早川隆景を先として各人數を押出さる去程に宗茂い備を三にわけ我身い前に川をあて後に森をたよつて備たり先手と間を隔る事二十町計也敵勢二三千鉾矢に備て閑にかゝる先手八百餘一面に圓備合かゝりに閑にかヽる敵をつくとひとしく某(天野源右衛門)三