別記第百三十三別記第百三十三拾騎計かけよせて見候へい尺寸の間もなく堅備たる敵なれい馬を入へきやうなく旣に引返さんとする處也十時傳右衛門內田忠兵衛と名乘て馬をかけよせ鍵を以て眞先に扣へたる敵をなけつきにして其儘馬を乘込五六騎切て落す某も一所に乘込其外皆つヽいて馬を入七八十騎切落せい敵勢瞳と崩て引退處に左の方より敵二三千閑に備て攻かゝる何も此敵に馬の鼻を引むくる所に右の方森より敵二三千出來て閑にかゝる味方も是を見て左右に分て備を立る處にはしめ崩れたる敵の跡より又六七千騎急に責かゝるよつて三方の敵防かたく見ゆる所に傳右衛門惣勢を一所に集め敵近つかい間近に引受一方に向て戰いヽ三方の敵味方を小勢と見て取包むへし其時粉骨を盡し切ぬけ中備まて引とらい敵い己と三備一つに亂て追かゝるへし其時中備入替りて戰いゝ此敵い安く拂いんするそとて一所に備て待かけたり間近く成しかい敵大筒を打かけ黑烟を立喚てかゝる味方の勢も氣を屈せす左右の敵にい目もかけす前よりかゝる敵六七千に一文字にかけ合あいらく戰へn左右よりかゝる敵一に成て跡を遮り攻寄時一時に取てかへし一文字に切ぬけ中備まて引取たり此時傳右衛門數多手を負て終に死す其外手負死人百餘人也小野和泉入替て戰へとも敵い大軍といひ氣に乘したる敵ゆへさうなく崩れす既にあやうく見ゆる處に宗茂二千餘騎一度にかけ付其間三町計隔て関をとつとあけ左の方より橫鍵にかゝるを見て敵陣一度に崩て引退宗茂八百餘騎堅固に備て殘る勢にい追討にうたせらる敵を討事二千餘人此時池邊龍右衛門をはしめとして究竟の手柄のものとも十餘人戰死す其外手負死人一一百餘に及へり此戰卯の刻にはしまり巳の半程におはれり宗茂もふばし人馬のいきを休て扣へらる其時某(天野源右衛門)申せしい何も働前に候是に篠飯を持て候まいるましきやといへいいつれも功者の衆望なしといふ宗茂是を聞て是へ持來れと有時和泉に試をして進せらるへしとて差出せしを和泉丸飯一取て漸にくひたり宗茂い丸飯を三つ取て少もさいりなく其儘喰某も一つ取てくいんとするにくいれすして終に捨たり此時宗茂の器量よのつねならぬ事をあれりかゝる處に黑田甲斐守長政大谷刑部少輔吉隆兩人來られ貴邊い少人數を以て以前も申せしことく數萬の敵に向て合戰を決せらるゝ事不覺に候あかも跡勢もつゝかさるに只今の勝利驚入てこそ候へいか樣敵い先勢を討せいかつて大勢押來らんなれい小勢といひ手負死人多けれい疾く引とらるへし一戰の功誰か是にまさるへく候御邊直に勝負を決せらるを見なから跡に扣しを臆したるとこそ思召るへけれとも八幡大菩薩左にいあらす御存知のことく我等い南大門の守護なれともあたしく申談る故自然卒爾の働もあらは相とゝめ申さん爲人數をも殘置二三十騎にて參り候本より此期に及て一所にともかくもとい存れとも流石に一國を領する長政か宗茂の旗につかんい口おしく存てこそ扣へ候つれ貴邊利なくい無勢たりとも某も一戰を决し一所に骸をさらさんと思定しに唯今の働感するに餘り有事也と申さるゝ時吉隆申されけるい餘り無勢成上いまた跡より來る勢一人も見えす理をまけて引るへしと再三申されけれい宗茂某人數餘り競過程遠く敵を追行つれいいまた一人も引來らす某罷向て下知を加へ引取へし各い疾く御引有へしと申されけれい長政も御引有て人數を召具來るへしと吉隆申さるゝ時長政以前も