別記第百三十三申せしことく宗茂以前敵對仕らるゝ所に是非なく扣罷在さへ無念成に今又ひかんにn末代長政か瑕瑾と存候間得こそ引間敷けれと申さる宗茂夫い餘り成事也疾々御引あれと頻に申さる時さらい我等參申迄合戰をはしめらるへからす迚兩人いかへられたり扨都より打出たる軍勢其日午時計に隆景を先として押來る日本惣勢の先陣い立花宗茂二陣ハ小早川隆景三陣い浮田秀家夫より段々に備たり敵のやうを見るに其あひ遠けれい分明にい見えされとも先三十萬餘もあらんかと見えたり宗茂陣塲のむかふ二里計隔て山のことくに少高所あり敵勢其所を押越時いくろみわたつてひとへに大山の茂りたるを見るかことし三陣秀家其勢三千計敵近つかは宗茂にさきんゑて一戰をなさんと進出て見えしか敵の大勢を見て引ともなく進ともなくためらふと見えしか四五町餘退く此時毛利家の先手三備より宗茂へ軍使を以申けるい秀家の勢押出たるい定て先をせんとの爲なるへし宗茂にい今朝もいさき能一戰とけられつれい此方へ先をせさせ給いり候へ其上秀家と毛利い雌雄を爭事なれい是非とも先を仕度候御免あれかしと申越れけれ宗茂手の者共今日の合戰にい幾度も當手こそ先をすへけれ誰にか先をさすへき思ひもよろぬ事と申あひし時宗茂何も愚か成事をいふものかな私の功を思へいこそ前後の爭もあれ勝利にさへなれい誰に先をせさせたりとも上の忠そかし苦からす其上彼者共先をして利を得ん事思ひよらす迚先をせらるへきよし返事せられけれい隆景の先手栗屋四郞兵衛手島一島井上五郞兵衛其勢三千餘宗茂備の脇を押通足塲を立て敵を待程なく敵も近つけり其勢二萬餘先立て五つに備たり敵の人數色くろみ備閑にしていきほひ殊之外見事也間近に成と拍子をそろへ太皷をならし大筒を打黑烟を立て押寄しに毛利家の先手一支もせす敗軍す其朝宗茂の先手十時傳右衛門小野和泉宗茂へ向て時分よく候と申せとも宗茂兎角の返事なく牀机にかゝり敵を見て居られたりあいし有て(天野)時分然へうもやと申時宗茂託睨み何をか知とて立もあかられす又あいし有て時分遲るへうもやと申時宗茂敵合少遠し其上毛利家の者とも足纒にならんすれい皆引とらせて高名不覺も紛ぬことく一手を以て鑓をせんするそと申されけれい和泉を始め尤と感して畏居たり漸あいらく有て時分能そとて立あかり此度い前後の備もなく三千餘の勢一所に備先を望て一騎かけすな下知なきに矢をはなすなと堅く下知して足なみそろへて進たり敵い彌競かゝつて毛利家の者とも引拂たる跡を備も亂さす閑に拂てよせ來る宗茂勢の立樣を見て敵少あらふて見えたり其合間近く成しかい鐵炮二百挺餘入替〓〓三度うたせ敵勢いろめくやうに見ゆるとひとしく三千餘騎ぬきつれてかけ入四五百騎一度に切落せい敵二萬計立足もなく敗北す宗茂急に下知して追いせらる跡よりつゝく數萬の敵勢同士崩に崩立て一支もせす敵踏止らんとするに入替々々切崩す事六ケ度也大きなる川有寒國故氷厚くはつて常に往還の者其上をわたる然るに大勢汗水に追なされて一度にかけ込けれい氷たまらすぬけて人馬水に溺て死する者幾千萬と云數を知らすはしめ押渡る敵の惣勢二三十萬騎もあらんと見えしか僅二三萬騎に打なされ川向ひに四五騎にてひかへたる味方の中にかけ込這々の體にて引退くかゝる處浮田毛利家の人數も一二萬騎程も押來る彌敵い敗北してけり是日本高麗の雌雄の