別記第百四十二此旨申上る勝賴兎角の御返答なし早川申い馬塲には何と可爲申聞候やと長閑に向て申けれは長閑是程の御勝軍に左樣の被申上樣は御挨拶は有間敷候と申早川早々歸り候て此通り馬塲に申美濃聞て此上ながら御爲と存申上る處に御承引なきは不及是非仕合なりと申一勝賴又前のだいへ御うつりかゝり大皷御うたせ被成時內藤修理鐵炮に當り死する眞田兄弟常々權を爭ひ中惡かりしが爰にても互に權をあらそひ四人ともに討死也一二度目迄は甲州勢能見ゆる三度目より人數うすく惡し一信長家康兩陣の間二十町計也一勝賴山縣備へ御越此上は何と仕勝利も可有かと仰らる山縣此上にもまた仕樣いいかほとも可有之由申勝賴とも角もよき樣にはからひ候得と仰らる左候いゝ馬塲を是へ參候樣に被仰遣候へ馬塲參候いヽ相談申候て馬塲が一手い信長を押させ殘る者共は一手になり家康へ切かゝり御旗元を以無二に御掛り可被成候山縣は勝樂寺の瀨を渡り家康の旗元へ橫合より切り懸り可申候左有に於てい家康を追ちらし可申候左有に付ては信長必定引取可被申候其所を馬塲定て心得可有と申上る其義尤と被仰馬塲を呼に被遣候得共馬塲不參山懸承り左樣に可有之候參間敷と存候右衛門尉い日頃中能候間右衛門尉を遣可申と申候て右衛門尉を呼此由申勝賴も是非つれて參候樣にと被仰右衛門尉馬塲が備へ參此由を申馬塲申いか樣の時節見苦敷あなたこなたとせぬ者に候若き人の見苦敷と馬塲申土屋聞て尤に候我等法性院樣御逝去之時分是非御供と存候得共各御異見に付左樣の時節可有之と被仰候に付延引仕候定てか樣の時節と思召て被仰候と存候と申候へば若き人のよき氣を付樣と馬塲申候へば右衛門其儘驅入柵にとり付き討死なり一扨山縣申は馬塲は不參候と相見へ申候と申處へ土屋討死と申來る山縣申いこの上い不及相談候私人數を引上げまとめ可申候と申釆配を取人數を上るを家康公御覽被成三郞樣を御呼被成敵惣て一になり我備へかゝると見る間無是非味方まけに成たる間早々三郞い引取三里跡に本多平八可罷在候此人數をつれ濱松へ可參候左候いヽ往々信長も見捨被申間敷候我等は信長への言譯に討死を可仕と被仰る是い勿體なき御諚にて御座候御前の御座候てこそ信長も入魂めされ候へ中々我には入魂可有信長にては無御座候間御名代に我等討死可仕候御前には早々濱松へ御引取可被成と御父子互に度々の御辭退有三郎樣仰らるヽい左候いゝ兎角私も討死可仕候御前にも左樣に被成可然候と被仰候を石川伯耆御聞淚を流しどなたをどなたに何れを何れ共不被申上候と被申內山縣討死と御先手より申上るさてい味方利運也と被仰御父子ともに御きほひ御本陣に御歸り御下知被成る山縣い人數を上げんと釆配取り下知仕候處に鐵炮にて鞍の前輪より打ぬかれ馬上より落る處に山縣備へ惡くなり崩るヽを馬塲はるかに見てあれ若き者共見候へ運の末にいあの樣なる山縣か一世にあの樣に見苦敷人數を仕ふたるを不見と申て暫見ていや〓〓尤也山縣討死と見ゆると申處にはや家康公の御手より勝どきをつくり懸け敗軍也一勝賴い討死可被成と被仰少も退給ふ氣色もなし然る處に穴山梅雪來り早々御のき候へと