別記第百四十四今川記第一又稱富麓記世の盛衰轉變ハ代々の鑑に記し置所もるゝ事なし是いたゝ近來世亂れて或い一國一郡或い一〓一村を爭ひ私欲にまかせて軍を起し國郡をうはひうはゝるヽたくひいなへて世のあるへきにあらねいまのあたり見し事聞し事又いふるき人の語り傳へ書置し事共を筆にまかせて書付ぬ相搆て〓〓よく心得へし主に不忠の臣親に不孝の子いかにたけくいさめる人も謀をもとゝし君臣の禮を忘れ長幼の義を守らて不道不義にして人の所領をうはひしい一旦身を立家をおこす事あれとも皆一世のみにてほろひ後代に耻を殘す事むかしも今もかはる事なし誠につゝしむへき事也抑我等か父祖のいにしへ勿論人の數ならねとも元い京都に祗候し殿中にましはり番役等も勤仕しか中比所領につき遠江に下りし後い京都もみたれ公方にもたひ〓〓御沒落の御事なれいをのつから奉公の望も絕しにや此一二代い今川殿の被官と成て在國せし也さるから駿遠參州の事いよくあれる事なれい見聞し事のたしかなるをい書のせ侍りかたりつたへておほつかなき事い略之畢むかし眼前見し事を今人のかたるをきけいかたもなき僞なとをとりまきらかしていひつゝくる也されい今の世に人の語りつたふるにちかひたれはとて此事書置し事いひか事と計思ふへからす同し事をかたるにも最負偏頗のあれい大きに相違する事也よく〓〓吟味すへし又京都の御事管領四職の噂もをのつから昔のよしみもあれい聞傳へし事いかたはし計書付侍る關東の方樣い所緣の人の物語又記し置し事なとのたしかなるを少々書載ぬされと他國の事いあやまりも空言もあるへきにやよくあらさる事をいひちらすいよしなき事なれとも前にも申ことく世の治亂家の興廢い人君臣下の善と不善による事なれい忠臣孝子の志行をあるへきたよりにもなれかしと存計也ねかはくい子孫末葉の輩萬に一も君に忠節親に孝行眞實の道理を心にかけ後代に譽れをのこし我等か不肖の家をおこし給へと思ふ心のやみのまよひにて跡を先へたとりなからかきあるす物也ゆめ〓〓人にみすへからす王道おとろへ君臣の義父子の道今あらぬ世と成事保元の亂出來しより武士の威をあらそひ又平治の戰も有ける也一治一亂い世の常の事なれとも賞罰理にたかひぬれい是又亂逆のもとゝは成也保元平治の忠賞に平家おこりを極めて一家永く斷絕せしかい源氏又武威をかヽやかし王道彌すたりきりされい朝憲を蔑如する事い〓盛公にはしまり武家權を取て治承より今に至て四百年に及ふ事ハ賴朝の遺風也又此末の世にも公家の一統する事い有へき事ともおほえす世の成行さまい自然の事にて鳥羽院よりさきさまにも聖主賢王計世をたもち給ふにいあらす後白河院まて七十四代ハ相續せし也何事も時節到來といひなから是等い又理の當然也事の濫觴いかすかなれ共後の賢に成へしとい誠なるかな高き山もふもとのちりひちよりなりふかき海も一滴の流に初まると申とかや凡慮の不及所也誰もある事なれともかゝる亂世の後い一文不智の民となり王殿原も父祖の事さへあるましけれい其爲計に書付る也抑御門の御はしめい神武天皇と申て天照大神の御子孫にて今にいたるまてかの御末也將軍と申奉るもかの神武より五十六代〓和天臣の御末にてわたらせ給