殿御相談の上い諸家申旨なくして頓て靑蓮院殿御還俗有義宣と號し宰相中將に任し征夷將軍に備り給ひ義〓と御改名有りけり此公方久敷門跡に御坐し御慈悲もふかく御心も優にそましまさんと思ひけるに殊外に荒强なる御振舞にて殊更たくましき御心なり人々も思の外なる心地しおそれ奉る事かきりなし御兄の大覺寺殿義昭僧正い御慈悲もふかく御心はせ情有りて萬になたらかに御坐せしかい諸人ほめもてなし奉る然とも御他腹の御兄弟にて公方とも常に御中よからす聞えける大僧正も天下の御事とてい曾て御望もなかりしに或時御病氣故久々御かみもそり給はす引籠りて御坐けるを何ものか申けん大覺寺殿御還俗有御謀反の御企有と讒言あけるすなはち實否を糺さす大覺寺殿へ討手をさしむけらる此よし僧正聞召いたはしや大覺寺殿御身にをかす科もなくして御陳謝も不叶行方あらす落させ給ふ大和と申坊官一人御供に候へけるとかや去程に年の頃廿四五の旅人二人山伏の如くにて流浪ある人を打留たらんものにい不次の賞をたまはらんとの御〓書國々へ配行す大覺寺殿西國へ落給ひ或時山家賤かふせやに立寄御休息有りしによねを引けるするすと言もの御覽して是いいかなる物そと御尋有けるを土民ともあやしみ御年頃も御姿も一定此人成へしとて近邊の土民蜂起し主從共に討ころし奉り御首を取り京都へ上せける然とも炎天の時分數日の事なれい御首そんし見知り奉るへきやうなし其時大覺寺殿御いとおしみをかうふりし童形參りなく〓〓申けるい先年御口中のいたはりおはしまし御おくの御齒みつおちける事有もしや左樣の事もやと御口の中へ指を入て見れい案のことく一つの首のおくはみつなかりしかい是そ大覺寺殿の御首とも人ありける則御門徒の人々參り集り御葬禮懇にさたし色々の法事有しと聞えし持氏公今度鎌倉より天下御相續有へしと思召けるに靑蓮院殿御代を御つかせ給へい遺恨に思召都鄙御不快のよしにて內々思召立事有りと聞えける間今川殿大に驚き給ひ齋藤加賀守加賀爪伯耆守を以て數通之諫狀を相調持氏公並上杉殿へ御異見有し間持氏公よりい築田河內守上杉殿よりい大石石見守をさし越種々御問答有しか上杉殿いともかくも今川殿御意見にあたかひ給へと被申けれとも持氏公一圓に用られす內々は京都の御下知をさみし給ふ體也けれい今川殿と鎌倉殿樣い數代の御ちなみ有被仰合事懇なれとも此頃より內々御心よからす成行けると聞えし今川殿範政い上杉扇谷彈正少弼氏定の聟にてまし〓〓若子あまたおはしける故とりはけ鎌倉にい親敷人々あまた有し今川記卷第三今川了俊同名仲秋へ制詞條々一不知文道武道終に不得勝利事一好鵜鷹逍遙樂無益殺生之事一小過輩不遂糺明令行死罪事