別記第百五十八別記第百五十八九百二十丸と號す一家中は不及申一族一門祝義として門前市をなしけるふかるに大山義勝內々遺恨有といへとも無據小塲に祝義の使者被罷立旨老臣共申に付尤迚小田部孫九郞を以使者としてつかはしけり小田部孫九郞使者之事去程に男子誕生祝義の使者として小田部孫九郞泰行小塲の城ね發向す三河守對面し使者の趣相述る其後程なく朝日丸心地例ならす終に空くなり給ふ三河守を初愁傷限なく然るに又々悔の使者として大山よりい小田部孫九郞をこそ遣しける時に大山より使者到着の旨三河守聞給ひ大にいかり一門之大山義勝不吉なる小田部孫九郞を以再應之使者說ニ子タベ孫ヲ喰ノ意味カ手討にせんと押取刀にて立出給ふ泰行御難題なりと互に刀に手をかけたり小塲の老臣立防り孫九郞を押隔漸其塲ハ鎭りける是遺恨の初にて多くの士卒を失ひける小田部孫九郞切腹に極近臣諫言之事去程に泰行い立歸主人に此旨言上す元來短慮之大山義勝以の外いかり給ひ何條去る事の有へし左候てい捨置かたし汝そのまゝ立歸ること若しとい申なから臆病の振まひ也仍て此塲にて切腹すへしと云附ける處に和田越後平澤丹後孫根大學萩谷新左衛門樣々諫けれい漸鎭り給ひける然といへとも此遺恨止事なく何卒小塲の一族を討とり日頃の恨みを晴さんと軍の用意そ初りける先家中の面々にい一番に馳參ける人々にい高久主馬之介檜澤介之進江幡尾張大繩信濃藤井主水之介和田掃部之介大多喜治衛門岩崎越中掛札甚藏中村信濃小泉河內川野邊大久保土佐上杉長門齋藤九郞兵衛鹽野谷源大夫山崎新右衛門小瀨內藏之助宮內左衛門馳集て評定有義勝申樣此度小塲河內守聊の遺恨により孫九郞に難題申かけ其上我等をさみし候事こそ不屆也卒時に小塲の城へ寄せ彼等を討たんと思ふなり一座の面々思慮いかにと申されけれい列座の人々申樣おもひよらさる御企て御隣城と申當時こそ御緣遠しと申せとも御一門の御中也此義い御止り可然とそ申けるいまた評定半の事なるに物見の兵士かけ來り扨も小塲の城にい一家中を集め當城を責討に合戰の用意最中なりと言上す右之段聞ゆる上い止事なく既に用意そいたしける先軍勢催促せんと家の舊臣平澤丹後筆取上認ける此度小塲三河守聊の遺恨により當家へ敵對之由其用意候仍て當家へ御志之旁旗下之面々急御用意有之早速馳可被參候條仍て執達如件天正三年亥八月廿日平澤丹後判天正三年亥八月廿日平澤丹後判大繩信濃判高久播磨大山大膳田代遠江小林豐後阿久津信濃櫻井專太郞小野崎小三郞富田大極院富田兵庫之介同修理之介〓水大內藏小堀五三郞關主計南條岩戶衛門平賀新五郎飯村出雲同左馬之介大座畑六郞太郞同彌五郞橫倉兵部臼井萬次郞舘甚五兵衛中田市衛門根本彌兵衛山口播磨安土左京之介馬次伊大夫綿引石見田中源藏河村雅樂之介小塲三河寺軍評定之事斯て小塲三河守父子小田部孫九郞を押返してよりい止事なく日々に軍の用意をいたしける