爛柯堂棊話卷之一此寸法大旨なり只見よき程に計るべし石各以二百爲一具錦囊抄云口棊局寸法高六寸長一尺四寸廣一尺三寸八分一目の分七分にして一年に表して三百六十目を盛り九曜を像り九聖目あり畫夜に擬して黑白各三百六十石あり按るに今用ふる所は白百八十黑百八十一なり然れ共二百を以て一具とする方可然歟却の多き某抔出る時は不足の事なり助言助指は固可戒事棊盤の足山梔子の形なるは助言を戒むる所以也とは豫てより聞きぬ按るに山梔子和名を口なしと呼故不言の意をとりてなるべし然れ共西土此意ありや否を知らず又彼方の局基圖を見るに巴字或は猫足の形勢に製す且舶來の基秤を見たる事あり厚一寸餘にて板なり是を臺に載せて用ゐると見えたり盤面朱漆黑線勢子は〓にて星には非ず基譜にも〓にて吾邦の製に異なり昔より失言助言を憤て刄傷に及びし例夥し松平康直吉村又右衞門奧村八郎右衞門小花和太兵衞龜井六郞が怒りに觸し時武藏坊辨慶が擧動は奇特の至可感事也權現樣御文の事身の樂しみの事人々好嫌ひ得手不得手有之事にて候兎角物の片寄らぬ樣に致させ申事に候譬へは四季の花色々樣々咲て何れも眺め有之候中にどくだみと申草花香もあしく何の役にも立不申草の樣に存候得共疥癬の藥に煎じ用ゐ候得ば妙藥に候其如く何藝も人の覺えた事は承り置何その時の入用の事ある物に候第一自身に不得手のことは人の致すも忌嫌ひ候者まゝ有之候それは大名の別して致さぬ事に候我等中年の頃迄某を一向に不存人のうつさへ無用の物氣詰りにて役にも立ぬ事と許り存人の好み候は虛け者の樣に存候所近年覺候へば雨降り徒然の慰にもなり先達而虛氣者と存候者を相手に致候是にて察候何事も詮のなき事は古へより致さぬ事吳れ〓〓も自分氣に入ぬものをあしきと存ぜぬ樣に致事專一の事に候只身の智惠の屆ぬ事と朝夕に存候事に候右之御文は權現樣より台德公の御臺樣へ被遣候御文なり權現樣駿河へ御隱居巳後は不斷棊をお樂しみ被遊候其事は記錄に間々所見あり本因坊には五ツにて御うち被成候とあり秀吉公信長公も同じく五ツにて被成候由傳へぬ豐臣太閤與菊亭右府圍棊の事小早川隆景は武勇といひ才智といひ容儀骨柄誠に傑出したる英雄なり近年の名將の中是に勝るはなし智惠には太閤も手を置きたまふ伏見の御城にて秀吉公と菊亭右府晴季公と棊を被遊家康公景勝抔御見物なり一手すきにて六ヶ敷なり秀吉公御手を案じ給へ共好手を思付給はずして被仰候は此分別は隆景にてもあるまじと仰あり家康公中々御意の通りと御挨拶あり筑紫陣治りて筑前五十二萬石を隆景に賜る其後隆景老て申は天正十年迄は御敵にて有しが毛利家人小早川何の御奉公もなきに大國を可給哉是は皆西國への響敵を可引付計策に被成ものなり誠に秀吉公御心より出てたる事に非ず然れば已來は六ヶ敷事ありと存被申上候は隆景子を持不申候間北政所御猶子木下金吾秀秋を申請跡目に仕度候と被申秀吉御心に叶ひ隆景子に被申付其上隱居を願ひ候得ば卽備後三原にて隱居領三十萬石被下則筑前は秀爛柯堂基話卷之一