爛柯堂基話卷之一秋へ被讓隆景分別者也と天下の沙汰なり一說に此時節太閣毛利家へ養子の心底あるを隆景其の機を察し本家の血統絕ん事を憂ひて此擧ありしと云ふ太閤も心中を被察深く感じ被居しが基に心を喪ふて不覺隆景が事を口外へ出せしものなりと評しぬ實にさもあらむ歟水汲論の事一時政宗物語に秀吉公伏見に御座の時家康公の御屋敷の傍に柳の水とて名水の井あり方々へ茶の水に汲候或時家康公の水汲と利家の足輕と水汲口論仕出し互に打合ひ夫より段々大きく成り兩方屋敷より小路へ大勢かけ出後には長柄の槍の穂先を合せ躊躇ひ一下知待合たる勢ひ中々夥し聞うちに家康公へ參るもあり利家へ參るもあり人馬いやが上に重なる程に天下の大事出來たりと犇きたり我等乘廻し見れば件のごとく小路に眞中を兩方槍の穗先を合せたる中を乘り分けて兩方勝負なし下郞共の私口論何十人互に押合死たるとて天下は是家康公利家兩の手を樂に取合魚と水の如くある上ツ方此事漏れ聞えても構ひ給ふ事ならず況や知り給ふ間敷にいはれぬ往來の騷ぎ沙汰の限りなり互に槍の穂先をのけ小路を廣く侍は門內に入候へ足輕下知なきに疎忽すべからずといひて上下をのり分て二三度槍とも兩方へ引取せ夫より家康公へ參り候得ば御門內にも人多く御殿に餘る程なり何處にましますと問ば先程より棊を被遊御座候と申御見廻申段申入ければ此方へとあり卽ち參り候へば石を御手に持玉ふて某盤の緣を叩き基盤に御顏のつく程に押付爰へより給へ此基見給へ思はぬ所を却を被立候得共此棊は身共勝なりとのたまふ近頃の御謀と乍思御側へより基を見て後御門前騒敷候に付罷出箇樣にのり分け下知仕御見廻申と申ければ先程左言ふものあれ共左程喧嘩にも成間敷事其許抔の聞給ふならば能程にこそめさるべし棊には打かゝる品は不存よき樣に計ひて戾りて是にて物參るべし料理能くさせ申さんと被仰候間心得存候大形此基は御勝なり今こそ候はんと申て表へ出利家の者はともあれ此方の衆は皆々內ね入るべし理非は不及糺と皆々入らせ利家の方へ風と御見舞候へ掛合の御料理給はるべきにてこそたに侍りぬちとして此方へ御見廻候へかし御料理給はり御物語申べし內々參り候て御誘可申候得共結句御料理催しケ間敷候へば待申候誰も外には無之と申遣し候へば內々夫より御見廻の段前かと承り候はヾ御同道可仕候所に御使の辱候掛合の御料理幸の事なり頓て御見舞可申との返事也夫より兩方の人引退き小路をはき駈集りたる衆も歸り鎭るべし今日の口論我等捌くべし其節の理非穿鑿に不及擊ば擊るゝ勝負なしされ共喧嘩兩成敗たるべし向後は水番を置き井の許へ入る道出る道をつけて高下に寄らず水は先次第汲み退くべしもし下知に叛く者あらば水番可爲曲事と定む然る所へ利家御見廻とて入給ふ同御座敷へ出候得者暫時某を打掛り料理見不申候とて御出迎ひ夫より種々樣々御物語結構盡したる御振舞なり今春太夫杯參り掛たる樣に被爲呼拍子五番ありて夜更歸り候時表迄御送被成明後日は利家へ參るべしと御約束なり雨降り一兩日延び利家宅へ御出終日夜更くるまで語り給ふとなり右萬姓家譜魔水系譜成たる時諸家より書上し伊達家の書也按るに高麗陣の節名護屋にての水汲論と同じ樣に兩度有之哉何れを是と定め難し名護屋にての水汲今按るに水汲論は全く名護屋に於ての事なり伏見に於て騒動論は六月末の暑氣の節なりの時も棊を被遊候なり德善院三將の御弓矢を評せし事あり白石紳書伊達成實記同じ右の事は某にあづからねとも神祖の御好被遊候事を記す也慶長十二年駿府へ御隱居被成候てよりは不斷圍棊は殊の外御樂み被遊候と見えたり