爛柯堂棊話卷之一りて基盤の傍に置き神色恬然として竟に基子を歛めて〓に納れ畢て徐に謂て曰く勅を奉て死を賜ふと客に示して賜ふ所の鴆酒を擧て客に向ひて此酒相侑むべからずと遂に仰飮して絕ゆ義時が宅にて棊會の事和田義盛北條義時が傍若無人の振舞を憎みて兵を起せし時三浦左衞門尉義村九郞左衞門尉胤義兄弟義盛と盟ひて北門を警固すべしといひ合せしが心變じて義時が許に行て義盛既に發兵の由を告る其日義時圍基の會を催せしが驚色なく靜かに目算を加へて後折島帽子を立帽子に改めて水干を着して御所へ參る按るに西土にも相似たる事あり晋謝安文雅過王道有德量方秦寇至朝野震動安夷然圍棊賭-整捷書至安方與客基覽畢置座側無喜色基罷客問之小兒輩遂破賊客去安入戶喜甚不覺屐齒折其矯情鎭物如此大久保忠隣配流の日圍棊の事慶長十九年正月二十四日佐渡守父子等忠隣に配流の奉書を下す兼てより板倉內膳正重昌父に久しく對面に及ばねば身の暇賜はりて上洛すと披露して忠隣に先達而都に上り三年十二月十四日に江戶を立つ父伊賀守勝重に仰を傳ふ勝重既に其期に及びしかば相模守が旅館に行向ふ忠隣折節基を圍み居たりしが勝重を座に請じ忠隣配流の御使たる由先に承りぬ流人の身と成りては斯る樂みあるべしとも覺へず待給へ後にとて靜かに事終て去ばとて謹で仰を承る左なきだに此間何となふ物騒がしかりしに京童も忠隣罪を蒙ると聞てすはや事の出來るぞと資財雜具爰かしこに持運び以ての外に騷動す忠隣此の由を聞て已が弓矢兵仗悉く束ねて伊賀守が許に送る家の子郎等皆暇を給ひて關東に下しければ洛中程なく鎭まりぬ大小華腸保日二編忠隣謫江名古屋市中国会議院矣謹云居世承々佐人民藝術(中华人民)賀器以出 ()家贈結聞於是洛陽穩也而後國際、(爛柯堂基話卷之二棊所本因坊道智御答の事有德院樣御代一時棊所の者へお尋有けるは棊の力同樣の者に候はヾ先手の者果して可勝事と思召候旨御尋あり道智申上候は上意の趣には御座候得共年齡同樣にて其日の氣分も同樣にて某の力も亦同樣に候はゞ先手の者勝を得可申段申上しとなり流石上手の御答なりと曲淵甲州物語りなり右の事耳袋と題せし曲淵甲斐守隨筆の中に見えたり金春太夫御答の事同御代金春六郞は上手の聞へ有しが一時御前へ罷出候節寶生大夫は上手なりと世上にも取沙汰致候由如何上手に候やと有御尋ければ他流の事にて何れとも口難く候と御答申上ければ夫は一通の事也御尋の上は心に思ひ候處有の儘に申上べくと御小姓衆より再應の御尋なりければ甚困りけるが左候はヾ申上べし此間さる御大名衆へ被召呼能を仕料理抔相濟楊枝を遣ひ候節寶生大夫儀何やら楊枝を仕廻しか又引出し一寸程離せ候て楊枝差へ楊枝を投入申候寶生大夫は藝は是にて御勘考可有之と御答申上げれば上にても兼て思召所と符合致候と御笑ひ被遊けると也此寶生大夫能はよく致けれ共常に正風體に無之仕打を好み氣象金春大夫が心に不合故にかく申上けると也因に曰ふ棊の事には預からぬ事なれ共此頃諸向ね種々の御尋ありし故思ひ出る儘に記しぬ本因坊道智將棊上手の事爛柯堂基話卷之二