爛柯堂基話卷之二本因坊道智は將棊も上手にて有しなり然るに大橋宗桂が子宗銀儀父上京の留守なりけるに每夜本因坊へ行いて將某をさしけるに對馬にて宗銀負る事每時なり口惜しき事に思ひて種々工夫すれ共駒組より詰ぎはに至りていつとなく圍ひ弱りて負る故餘り詮方なく思ひける折節父宗桂京都より歸る馬おり共いはず右の次第を語る宗桂儀不思議に思ひ先づ如何なる手立にて負けたるやと問ふ其時宗銀如此駒立にて此時の爰にて負候といふ宗桂笑ひてこゝに歩をつき彼處に銀を上可申所を工夫せざる故一手其方の負は見えたりと其家業を未熟せし故負間敷手にて甚叱りければ宗銀得心して其夜又本因坊へ行て將某をさす其半に至る時に宗銀彼の傳授の手を出す本因坊暫時考へてけるが手を打て父宗桂はや歸られしやと問ふ宗銀南無三寶と思ひさあらぬ體にて否々未だ歸らずと云ふ本因坊打笑ひ汝此手を知るべき事に非ず正敷宗桂傳へたるなり傳授の上は最早我相手にはあらず此將某某負なりとて突崩しけり實に其道によると雖も古法は不學しては知れ間敷事なり宗銀數番負たる相手なれ共古法の難有手立にて其夜始而本因坊に勝事は父の德なり偖又本因坊は我が職に非ずと雖も達人にて早く其手にて負たりといひて父歸りしやと尋ねし事奇妙なりと其道による者は深く感じける也本因坊道智大橋宗桂と職替の業上覽の事本因坊將某を得たる程宗桂も亦棊を得たりと云ふ沙汰あり一時基將基上覽の時御側衆宗桂が基本因坊の將基仕由言上す上意に職に非ずと雖も盤上の勝負似たる事也且は御慰の爲め職がへの業を上覽可有之との上意あり兩人畏つて先づ宗桂本因坊と始む如何したりけむ本因坊負たり其次に本因坊と宗桂將某をさす爰にて宗桂負たり其間三時間許り上手名人の手合なれば何れも晴ならずといふ事なし一兩日過て兩人を召して御側を以て被仰出は此度の職替本因坊は棊にまけ宗桂は將棊に負たる段御合點不被遊其道の棟梁として天下の御扶持を蒙り乍ら未熟の至也とて甚御腹立なり急度糺明致申譯あらば可申上と也其時本因坊謹で上意の趣乍恐御尤至極に存候然れ共御素人方の御存なき事に御座候宗桂儀私に負る將棊には無御座候得共負じと存候得ば家傳祕家の手を出し不申候ては不罷成其大切の手を出し候へば相手も上手にて候得ば其位を悟り申候左候ては將基所の御役立不申候間態と先負申候と申上る宗桂も亦同樣の御請也其宗匠に敵對程の藝にては大切の祕訣を悟るまじきものにも非ず尤の御請なりと諸人申けり御側衆兩人が申旨を上聞に達しける所何の御沙汰もなかりしとなり當時の本因坊道智は官賜名人某所なり大橋宗桂も名人將棊所也又一時被好望本因坊と因理と將某手合あり道智は六段因理は七段上手なれば香車落にて指ける所本因坊慥に勝ける其將棊如何にも〓〓道智能指ける由宗桂傍に在て熟覽深く感入譽し事ありと本因坊家に語り傳ふ予は師匠烈元被語しを聞し事あり因に記し置ぬ其日安井仙角も座にありて和尙は盤上の聖なりと感じけると也本因坊道智中將棊の聖所の事本因坊道智中將棊は聖所に至るといふ一時中將某を能する者本因坊を尋來る某は長崎より罷越候中將棊御達人と承御手合仕度と申入本因坊對面樣子尋候處其者申は九州四國は勿論五畿東海道此道に高名の人々へは必ず相尋手合仕候所更に敵手に足り候者無之由にて甚自慢の顏色也是迄指候將棊一二局作り見せ候樣申試に熟視するに本因坊輕親して手合可致申に付彼者對馬にて可仕候哉と申本因坊曰奔王を落し可然と云ふに彼者驚て奔王は飛角のきゝを兼たる駒なりいかんぞ左樣の敵手天下に可有之共不覺候と不得心の氣色なり然れ共其位の樣に見ゆるとありければ其者憤りながら手合に及びけるに本因坊負たり其日は一局にて止ぬ四五日過て來るべしと約して其日に至りければ又指しけるに又本因坊負爛柯堂基話卷之二