爛柯堂基話卷之二を伴善雄に寄す應天門燒て善雄罪せらる豐城は從者たり夏井は豊城が兄たり故に轉相緣座せられて遠流に處せらる夏井使に隨ひて境を出づ肥後の民路を遮て悲哭する事母を失るが如し夏井私に嘆て曰ふ凡法律に所謂首從の罪必差降あり予は是從か兄亦緣座せられ今善雄と同く遠流に配せらる何ぞ其別なきや數年にして母死す夏井至孝にして喪に居る事禮に過たり兼而雜藝を善し射を能す文德天皇宮人と戯に一釣を隱して百中の中にあり竊に夏井をして占しむ卽著を執て卦を布て曰ふ小女の春衣着て白花を挿頭にしたる者左の手中にありと帝悟得て大に喜び給ふ醫藥の道を習へり土佐に配せらる後自ら山澤に行き藥を合煉して以て民に施す民多く其驗を得たり甞て一人ありて中風を煩ひ髪を被き狂走す夏井一七の散藥を與ふ服せしむるに此人立に癒ゆ皆此類也一小說に云ふ夏井畫は百濟河成に學ぶ幽靈を畫くに妙を得たり夏井畫精術なるを以て珍重せられし身の今斯る禍に逢て不測も西海に赴きいつを歸るべき期と定なき生別の嘆に妻の楓も物狂しき迄悲泣し遣らじとするか袖さへも留る物は涙のみにして夏井兄弟は使に隨ひて境に出住馴し都を後に數里の波濤を經て土佐の國にも着ければ怪しの草舍に膝を容世の盛衰を感嘆す弟豐城は膽太しく山に獵し海に漁す朝夕の備へにせんとす夏井は弟が匹夫の勇を諫めて文學を勸れば豊城は夏井が柔弱にして膽氣なきを議り兄弟同意ならざれば庵を隔て住けり夏井は山澤に行き藥草を採て合煉し民の病苦を救ひ或は豪家の爲に屏障に書畫を筆して其精術を驚す是に於て吏民朝夕庭前に給仕す謝物を贈ると雖も更に受ず蓬首散帶にして〓貧を守り山海の勢都に目馴ぬを心の友として日を送る中にも山鳥の尾隔て都に殘る妻の心如何ならんと春の雉子につけ秋山の鹿につけても忘られず包み兼ては言出るを豐城も時々言慰めければ死別より生別にこそあんなれと竊に思ひ止ず是をのみ一の憂に荷ひ暮すを其甲斐なき事に思ひけるが一夕豐城は例の漁の歸兄が庵に立より雙眼に涙を浮て夏井を見る夏井弟の面色常ならぬを訝斯る强勇何の愁哉あると驚て仔細を問へば豐城は鹽垂衣に涙を拂ひ今室津の渡り近く鯛の網に罷りて歸さ己が都にて親しき友の主命にて此國に罷りけるに逢侍りて何くれ都の消息を聞侍るに尊兄の日頃悲しく思ひ給ふ阿嫂は此三月許り前に墓なくなり給ひしと慥に承り候と泣々語りければ夏井聞に胸潰れ目も暮て聲も得立ず悲泣けり豐城いふ樣斯る御嘆を見る事の苦しさよ斯申ましとは思ひつれど尊兄は日頃物學し給ふ故會者定離の理も辨へ給ひてんとさのみやはと思ひたるも今は悔侍といへば夏井も涙うち拂ひ生ての別を天外に尋るとも蜀山の雲遙に隔死ての悲を地下に求むとも覇陵の水轉咽かひなき理を莊周が缶打鳴せしに習ふべけれ共我が身の上に落掛りては更に思ひ消されて悲しく侍ると立上り假の庵にも假の世の御佛設けの壇に向ひ御燈を捧げ香を捻頓て靈薄に楓か名を寫し供養する體に豐城も少し心安靜柴の戶引立て歸りぬ夫より夏井は夙に起ては關伽を汲花を折て追福供養の外他事なかりけり一夜燈下に法華經を書寫し寂寥として居たりける屏風の陰より女の半面せるあり怪と見れば妻の楓なり夏井筆を投じなからや妻の楓にておわさずか我を忘れざる亡靈の海山越て爰迄慕ひ給ふか正敷物をもかはし給へと云に屏風を押開き立出る姿は白妙の袖に溜らぬ春の雪消なは惜しきと早くも取縋り湧出る淚を拂ひ死生を共にせんと契約しに今更薄情に泉下の人と隔つべきや共に亡魂となればなれ地獄の苦患も荷ひてむと互に歎きに枕席をすゝめ終夜睦み語り又の夜を契りて北窓より香煙の風に吹れて橫ぎる如く忽然と消滅すれば夏井は柴の戶をさし籠て人にも逢ず唯亡人の來ると思へば暮遲く塒へ歸る鳥影も夫かとそのみ思はれて顏色も憔悴し氣力勞れたるさまに豐城を始め近隣の者も亡妻の爲に傷悼に堪ざるは理ながら斯ては病共成らんと樣々に諫れども更に浮たる氣色も見へざりけり豐