爛柯堂基話卷之四對基になりしを恥ぢて病ひに臥しけるが危篤に及びぬ依て復讐の爲めに强て追手を願ふ實は黑子一目呑し時後漢の神醫華阿が祕藏して病症の在所を察る明鏡あり此鏡は衣服の上より懷中は勿論五臟六腑を照らす奇妙の明鏡なり圍基の時此の鏡を以て席にありし人々を照らし見るに子細なし隆昌女一人鏡に向はざる故詮議殘すべきに非ずとありて女を照しけるに黑き石子の形なるものを紙に包みし如くにて昇降する事顯然たり依之女が罪に極まるべき所を此詮議は吉備公可致とて仁心を以て胎子に申紛し罪を赦されたり此恩に報はん爲追手を乞得て出帆の所を遮り復讐の旨を述ぶ吉備公黑子一目を我に返すべしと云ければ其時隆昌女申は夫が病危しといふは僞なり其日の恩を報はん爲追手を乞いしなりとく船に召さるべしと云ひさま劔に伏して絕ぬと云々甚拙き物語なれ共古く傳へし國字の書なり末に野馬臺の詩注釋あり梁の寶誌が日本の未來記なりと云へり寶誌和尙は梁の時代の僧なり圍棊の日の棊盤は草蘚な煉て製せし物基子は崑崙山に產する晶明石也といふ○草〓の盤に付て別話あり佐々木と工藤遺恨話扨も其頃佐々木家と工藤と不思議の遺恨起りて已に騷亂に及ぶべかりしを諸士別當和田義盛和平を計り事故なく靜謐にぞ歸したりける其趣意を尋ぬるに或時鎌倉殿御前に於て圍棊の會を催され在鎌倉の諸士何れも伺候し終日基をぞ圍まれける佐々木三郞盛綱君の御相手となり北條時政大江廣元入道善信等側に候して見物す盛綱が嫡男信實生年十五歲に相成けるが父と倶に候して同く傍に在りて見物す然る處に工藤左衞門尉祐經伺候し座に付んとするに何れも棊の勝負に見入額を鳩て座しければ信實が後より兩手を以て抱き退け一言の會釋もなく其跡へ居り見物せしかば信實若年なりと雖も祐經の無禮を憤りけるにや顏色變じて座を立ちけるが此折しも人々は棊に見入りて是を知らず大江廣元一人此の樣子を見て祐經が所爲傍若無人の擧動かなと思ひ居られしに氣逸の信實腹に据兼けん頓て立歸り邊りに有合ふ基笥おつ取り祐經の面へはつしと打付けるか額破れて血の流るゝこと夥し君を始め座中の面々大に驚き祐經を介抱しける間に信實は早く逃げ去ける父盛綱は斯と見るより袴の裾を踏したき我子を追かけ出けれ共行方知れざれば大江廣元に附て愚息信實御前を憚らず奇怪の狼藉に及ぶの條左右に能はず候得共其行方を失ひ候定めて宿所へも歸り候まじ此上は何方迄も尋ね出し候半且某は落去の間遠慮仕差控へ候半此由宜敷御披露賴由申置宿所に歸り出仕を遠慮したりける工藤左衞門尉は疵養生致すべしと御暇給はりて其宿所へこそは歸りける和田義盛匿信實話去程に佐々木信實は一時の怒氣に堪す工藤左衞門尉に疵を課せ其儘營中を逃去けるが左衞門が郞從等之を聞主に仇せし小冠者めを遁すなとて追掛る信實は桐か谷迄逃延しが工藤が家來と覺しくて二三人追掛たりしかば事々しや何程の事あらむと松の木を小楯に取て待掛たり工藤が家來夫と見るより駈寄て組付くを信實は父に劣ぬ强力なれば何の苦もなく振解き壹丈許抛付れば此勢ひに僻易しうろつく者を引摑み締上る殘りし者是を見て叶はじと思ひけむ跡をも見ずして逃失けり信實はさも社あらめと打笑らひ夫より和田義盛が宅に赴き卽ち對面してしか〓〓の由を語り定めて上の御沙汰候べし宜敷計ひ給るべしと申ければ義盛逐一に聞終つて祐經が所行法外なりと雖も君の御前をも憚らず狼藉に及ばれしは其許の越度たるべし何れ雙方相糺せし上某惡くは計ふまじ先夫迄は此方に居らるべしと申されければ信實承り一旦の憤りに前後を忘れ御前を騷し候段某が誤り申上るに言なし若上の御怒り甚敷候はば切腹仕候べし自然左衞門尉方より某を乞請申義有之候はヾ何卒貴所の御芳志を以て其義を支られ切