爛柯堂棊話卷之五有之此衆三七殿を可守立然る時は羽柴浮田人質不可出其時は可及合戰兩人も手柄者なれば彼れを討むに味方の人數も手負死人可多其後登り明智と戰はんに明智も臨天下程の者なれば定て可爲大勢其上揉合勞れたる處に本國の猛勢競ひ來る時何と可合戰哉と被申ければ吉川聞て尤の仰にて候さあらば隆景の天下の取樣承らんと被申隆景被申は先和睦は能候人質渡したらば其質は姫路に可置然て羽柴明智と合戰有べし何も劣らぬ逸物なれば軍は暫らく可揉合然る處へ後詰の體にて押寄明智勝たり共明智を討へし又羽柴が勝になる共是又輙可討その後大軍都に在之方々への手遣ひ有之其時の樣子によるべしと云れければ此儀に同じ人質には隆景弟元包を被出則隆景召連被參ければ官兵衞出合元包同伴にて秀吉に對面せらる隆景被申けるは私弟人質に進之候箇樣に申談上は輝元も疎略に不存候御前にも左樣被思召候へと云々とあり諸書の說にては太閤始より誠を明し本能寺の變を此方より告和談せし振なれど戰國變詐の時誠心計にて屆へきに非らず前書の說にては先人質を取收其後に變事を告候積なれ共其事既に敵陣へも聞へしと云るは事情かくあるべき也又隆景の和談を聞入しも一旦の計にて兩虎の鬪の跡へ付込了簡にて先和談せしと前書にも是又事情さもあるべし隆景は變に通ぜし才子也斯の如き時變に處するの術なく空敷機をはづし太閤を圖らざる事あらむ哉機會を測り暫らく和し後の變を窺し事實情ならむ諸書の說は事情に遠き成るべしもし太閤明智と戰ひ決し難くば隆景が謀る所圖に當るへかりしが明智一戰に打負太閣の勢益盛なりしかば隆景も不得巳誠に和談の事を遂しは智者の慮も又及ばぬ處あるべし綠野園隨筆に見へたり水戶彰考館總裁川口長孺一時伺菴古賀先生と此談に及しに先生は魔釋記の說は不被取由白石新井先生も云へる事あり毛利と和談の擧は氣一世を蓋ふとも云べしと圍棊口傳の事圍棊口傳棊聖式中取要載之〓深說云まねび棊といふ事ありたからる樣普通の人は不知云々按るに何の義といふを知らず思ふに中央の勢子へ先を打ちて眞似をする時は下手の者上首へ對しても不負持某か一目勝には是非共打ち得るもの也といふ然れ共是は俗說なり實に其理あらんには專心致志にも不及又可樂技にもあらぬ也十八着を下す時は眞似の出來ざるなり童蒙の爲其圖を出して試に僻說を破る左の如し右同書に結事半番過る程より結を心に掛て結鼻をとりて敵に一手をも先手を取せじと次第を案じ續けてさす也はたをばかねて結に痛ぬ樣に打置也敵の石をさしよき樣に打成て置んと思ふ也所詮勝負結により能させば二十目などの負をさし寄る也手をとりなれ共鼻をたにも取はしめられぬれば上手こたへて無術事也着々に先を求めよと云是の意也二十目などの負をさし寄るは下手にある事也濱取事先ちりたる石を取したゝめてのち濱を取らるべきよしの氣色を見すべし敵と一度に取べからずまく事も敵に先まかせむする樣にすべきなり貴人などには去氣なきやうに手ともをさへぬ樣に振舞へし等同の敵にも此等の禮はあるべしまくには我前の近き處に濱をまくべしまきにくき處には石を取替などしてまくはえまかぬ時の事なりこほつにも先の石をこほちて押遣ると云々是も禮を存ずるなり圍棊口傳