爛柯堂基話卷之五右同書に目算事石を大旨立てと半番と結近く成てと三度すべき也せめていどむ時に合ては敵の濱を打とらん度に數へて可知なり敵の濱の員を知りなば目算不可違十目計の勝負は習にて我よはく覺也其心を行はからふべし勝に成ぬと覺ゆるばかりにて數へぬは過ちの時にいでくる也必かぞへ勝負を可存也目算第一の大切也目算のよきといふは數るとも見えぬ樣にてさり氣なく見せながら勝負を見る也上手なれ共目算愚なるは賴母しからぬ事也二十なれども目算よくすれは負をせぬなり見證の目を賴むべからず必ず惡きなり又石を打たる番は勝と見えて負る事のある也元祖本因坊も諄々是を言へり祕訣とすべし先手事初番の先手をひとしくあらんに於てはむねとの人若は先達には打せずしていそぎすべし所をおく義なり聖目に可打させておくは樣々しくてけましき也次の手は心にまかすべし先の手をば中聖目に打入べくやと覺ゆ其故は中に打つればかさをうたる中の地をとられず四丁不被懸又我爲には此等の事に皆便ある也但是はこのみによるべきにこそ按るに僻說不可信也右同書中雜に云老耄して棊のたけ下りぬと覺は籠居して基會の出仕な好ぞ又負まじき敵に負事あり共年の故とないひぞ人每に習なるに凡て自歎の氣あるべかちず棊の髓腦を知りたり共いたく心得たる由なみせそ少々はかたほけたれよくはすれども道の故實を知らずはしなゝき事也能々尋授べし縱手並は等しく共勝負は心づかひなるべし以前先達の口傳私の意樂大略如斯此等は心ばせなるべしかく見たるとも此定に打て惡き折もあるべし其許は筆も詞も難及事か只天性によるべし凡此道の極め我先の番に一度も負けざらむまへも棊本のまゝに習は制外といへり心と詞との幽玄なるべき也所詮心を〓して冥加を可仰凡は凡夫の極め覺るべき道に非ずや廢忘の料也後見に有恥勿披露云々同書に聖目の事由〓未分明說云局目三百六十八一年に宛其中に九有は九曜也云々本文につきて聖目とも又云聖目と此字を用事極僻事なり際目とは此字を用と云々さかひしり目とさかの兩字を略して聖目と云習へる也古言葉に文字を略する事儘ある也七ヶ條圍棊口傳正治元年六月日註玄尊云々按るに正治元年は源賴朝公薨ぜられし年なり今天保十五年凡六百六十四年が實に古書也某聖式中取要載之と云は橘良利肥前國藤津郡大村人也出家號寬蓮爲宇多院殿上法師圍基堪能也因爲某聖大德延喜十三年五月五日基聖奉勅作某式獻之云々棊聖式と云書は此基式の事か不可知圍基口傳は塩撿技保已一が集る所群書類聚三百六十遊〓部三に見えたり寛蓮法師が事亭子院の帝御諱定省宇多天皇なり帝おり居給ふて又の年の秋御髪おろし給ふて處々山ふみし給ふて行ひ給ひてけり考るに王代記には昌泰二年十月十四日於仁和寺出家法諱空理とあり宇多帝は寬平九年讓位とかや寬平法皇是なり肥前掾にて橘良利といゝける人うちにおはしける時殿上に侍ひて御髪おろし給ふければ軈て御供にかしらおろしてけり人にも知られ給はでありき給ひける御供にこれなんおくれ爛柯堂基話卷之五