爛柯堂基話卷之五又目作るべき所なし傍に攻合ふべき石もなし逃て行くべき方もなしいかで取らざらむと法深坊が云夫はさる事なれ共外に兩切の處あり是を切にしゐたらむすればまさる敵を取つて勝つべし兩却の石をおしまれば目一の却つかさすましければなり形部坊兩却さる事にて候へ共夫を賴みて目一の石生ましき責て候へといはれなきこと也と互に爭ひて事ゆき難きによりて賭物を定てあらかひになりにけり當世圍棊の上手にことはらせける先備中法眼俊快に問ひたりければ兩切にかせう一つとは是也法深坊の理也と定む次に如佛にことはらするに判にいふ目一ありと雖も兩刧のあらむには死石には非ずと云り自筆に勘て判形加へて贈りたりけり此上又判者なければ法深坊が勝になりてけり形部坊賭物辨まへて風呂燒してきらめきたりけり抑の師走の二十九日さしものまきれの中に圍基うつだに打まかせて心付なかりぬべきに處々人つかひを走らかして判せさせたるこそ罪ゆるさるゝ程の數寄にて侍れ俊快法眼は感歎入興しけるとぞ古今著聞集第十二撰者橘楠袁于時建長六年應鐘中旬文政四年福山侯の文學太田八郞來書略圖〓諺の考へ奉御覽入候猶又御是正を願申候如佛が先蹤も候へば何卒此圖へ御判被成下儀は相成間敷哉後世の證にも相成候間偏奉願候著述へ書入度有之候旁奉願候以上かせう一つ何の義といふ不知太田文學が考に曰字三寫を經れば鳥焉馬となるかけめ變じてせめとなる再變してせうとなりしなるべし予是を思ふに能き考へなるべし右賴に付本因坊元丈宅へ仙知因碩元美因淑來りし時此話に及びし日五百餘年の後に如佛が非になりしと元丈笑ひける由太田へ答しことあり兩切と目一つの石は別々の事也異論あるべからず其後對話に右の事を問ひしに穩當とも難思により未だ著述へは不筆との答へなりき近來坂口仙得に此事を語りしに曰聞しことなり兩切加生一なりと云又一說に備ふべし楠正行圍棊の事楠判官正成が嫡男多聞丸正行年十一の時近習の靑侍等詰所にて基を圍み居けるが多聞丸來給ひて暫時觀居給ひしが大に笑ひ汝等兩人棊に勝むと欲するかと思ひしに互に敗けん〓〓とするこそ可笑と嘲り給ふにぞ靑侍等心怒り未だ某を知召さずして笑ひ給ふことの可笑さよと詰りぬ多聞丸我不敏なりと雖もかばかりの小技不學といふとも知らざらむや汝等が棊を圍むを見れば死すべき石を岸ずして殺し難き石を取らむとす是負んとするに非ずして何ぞや靑侍等彌々腹立然らば君臣に代りて圍み給へと讓る多聞丸少しも辭する色なく石を取て圍み給ふ須臾にして打勝給ひければ衆人愕然として大に驚き扨も何時の程にや斯は鍛鍊し給ひけんと感じ適れ成長し給はゞ上手にならせ給はめと舌を揮て賞しぬ多聞丸打笑ひ春雨の寂寞夏日の暑を忘るゝ幽情ありと雖も妨事費日の譏りあり汝等耽ること勿れと誠めて去り給ひぬ其夙慧人に過たること斯の如し道策師か棊譜を觀し事四世の本因坊道策お道」をが第数千勉強今の名人と唱一時被招て其家に到りしに師匠道悅が井目爲置たる某譜ありるはこの道策が事をいふ也道策是を熟覽せしに道悅が石盤中皆死石のみ也爰に於て道策歎稱し如何樣井目爲置ては如是に非ざれば相成間敷こと也下手を打法を得たりと感心せしと也右樣の拙き棊にも心を留て觀るは又感ずべし按るに是れ實論なり本因坊道悅棊の答問或人本因坊道悅と閑話の序に基の上手名人と云には如何樣にしてなる者に侍るやと問ひけるに道悅答