爛柯堂基話卷之六持參して奧村を誘ひければ奧村も無據忠彌と同道にて正雪が宅へ赴けり正雪悅び種々馳走してさて棊に仕るべしと基盤に向ふ由井と奧村と互先にて打ちける忠彌は二目程强くして見物也互に入亂れ打ちし時正雪が石盤ざれば死ぬる所あり正雪如何に工夫しても此手見えず丸橋之を見兼て手拍子を打ち渡らば錦中や絕なんと謠の文句に寄て是を云ふに正雪其石を盤りて此石活たり奧村は溜息をつきて偖々渡りに船が來て難風を逃れ我等近來迷惑致すと囁きながら打居たるに奧村が石に切れる所あり此石を切らざれば正雪が負となるべき棊の模樣也正雪此手に曾て心付かざりければ丸橋堪へ兼て又手鼓を打ち鞍の前輪に押つけてと實盛が謠を調ひければ正雪其石を切て打仕舞見れば果して正雪が勝になりたり奧村は豫て此人々に交りては如何なる事が出來せんも計り難きことなれば何事にかゝこ付て義絕すべき下心ありければ是好時節と刀追取膝立直し大にせき込みし形勢にて丸橋をはつたと白眼み何れ慰とはいひながら再三物によそへての助言われ悟り知らざると思ふかや無禮の段許し難し返答によりて舌の根切てきり下んと勢ひこんでのゝしれば忠彌から〓〓と打笑ひ事々しき奧村かな何條汝に切らるゝからだのあるべきや今一言いうて見よ摑殺してくれんずると雙方互ひに惡口に及び既に危く見えければ正雪驚き中に飛入り雙方を引分け何も是は狂氣の沙汰也僅なる慰に如是口論こそ大人氣なしと漸々取鎭ければ奧村は早々座敷を立暇乞もせず眞黑になつて私宅へこそは歸りける正雪早々芝田を招き丸橋殿の短氣日比の器量と違ひ以ての外なる人體なり大望を企て人の大將たらん身としてかゝる心懸にては末々とも覺束なし丸橋殿の後見ならん者貴殿ならでは外になし何卒急度異見を加へ向後を嗜まるゝ樣にあらまほしと語りければ芝田點頭いて私宅へ歸り忠彌を呼て申しけるは昨日奧村との口論承り氣の毒千萬なり大望を心に企てながら斯る短慮の振舞抑先づ如何なる心ぞや韓信が市人の股をくゞり終に破楚の大元帥となりし例し常々口に談ずる所に非ずや此事を正雪我を招きて吳々の物語なり今既に我等五七人の方寸にて數千人の心を結ぶ一人事を破る時は數萬人の生靈の命を失ふに至る是中々假初の事に非ず此心今日屹度改るとあらずんば義約誓紙も引破り大望の願思ひ止るべしと涙を流して〓訓しければ忠彌も大に後悔し重々誤入候也正雪老が思召も貴殿が今日の御異見も肺腑に銘じて以後は屹度相愼み申すべしと早速に一紙の誓狀を相認め芝田に相渡しければ芝田大に悅び此趣正雪に告るに正雪も少しは心休りけり然れ共是より自然と交り絕え終に奧村第二番の訴人に出で隱謀露顯に及びけり按るに奧村が喧嘩に託して交を絕ちしは其機を察したるなり堀部安兵衞が事廣澤先生劍術を堀内源左衞門に學ぶ堀部父子同門中にて別て懇意也堀部彌兵衞實子あり被官の者を切此娘安兵害せんと欲して却て被官の爲に殺さる時に年十五父彌兵衞卽被官を殺す其後子なし娘一人あり衞に嫁す今に存命す年八十餘妙海といふ老尼なり其頃安兵衞高田の馬場にて伯父が助太刀して高名の聞え世に普し堀内門人となりて二三月の間の事なり依之彌兵衞養子にせんと望けれども不肯安兵衞他苗を續ぐ意なしと云然れ共彌兵衞頻に懇望してやまず堀内氏老先生も勸むれども安兵衞敢て不肯故に彌兵衞詮方なく君公内匠頭殿に申て曰安兵衞高田の馬場の事世上に隱れなし此者同門たるによりて聟養子にせんと云へども安兵衞他苗望なしとて不肯某養子するとも君の御用に立つべき者をこそ養子にすべき事なり願くは彼が苗字を以て聟養子となさしめ給へと申す內匠頭殿許し給ふ故此事を以て堀内氏竝安兵衞に告たり安兵衞曰如是深切にして君公