爛柯堂基話卷之六奉存彌忠義心にそみけるも尤也諸角助七儀は豐後守一子にて父豊後守舊功の士大將と云殊更川中島五度目の戰に難儀の節討死して大功の御用に立し故是亦組殘らず騎馬百騎御預け被成知行四千三百貫若輩故未だ武功も重からず助七へ下されしは父豐後守への御懇意なり尤も役目は是も御使番被仰付武道鍛鍊の後に豐後守跡をも續候へとの御事也然れば此兩人常に心易く進退共に君忠外にも朋友の信義厚くして連百足と云はれし程の中にて百足の指物差て欠廻る故也然る所に當世原も諸角も某を好み打けり屋形にても其役々當番は一向何も仕らず加番の方は棊將某或は詩歌等をなぐさみ勝手次第にて然もいつとても當番加番の割合も原と諸角とは一ツ番割今日兩人は加番ゆゑ朝飯後より御屋形へ相詰百足の間にて互に基を打事數刻なりしが如何しけるや諸角助七五番まで續けて負たり六番目にも助七急いて打ける故か散々にて大石二ツに切られしが其言葉に原甚四郞やい助七士の打棊は切れず離れぬ樣に打て社此樣にきれ切られては首が落んと戯れしを諸角助七くわつとせき上げやあ甚四郞基の上にて石を切るとは違ふて其方抔に首を切らるゝ助七と思ふか手前の首の落ぬ用心せよと言返す原は元來美濃守がゆづりの力量もち兄十郞兵衞程にはあらず共拔群の力量なるゆへから〓〓打笑ひ兄弟同然なればこそ懇意にてなくば試に首捻切てなりとも見せふ其方如き者は刀は穢さぬと戯れ合しが實なるよと云ふより早く飛込で甚四郞を眞二つと打諸角が太刀をたわけ者と云ながら基盤片手に差上げ受止めたり去ながら諸角が差料業物にして基盤を半ば斬割て原甚四郞が手前へ斬付たり依て甚四郞は實己れは馬鹿者と太刀を奪ひ取らむと大手を擴げ追廻す百足の間の者共兼て中よき兩人の事なれば惡ざれするな〓〓と居ながら聲を掛る計なり其內原は三ヶ所薄手を負し故堪難く踏込んで助七を蹴倒し脇差を取助七起上り刀を拔て又切てかゝる故其內相番小山田八左衞門諏訪越中目附の原大隅各立寄り雙方を組留引分ての上御注進也原甚四郞儀は別て意趣は無之助七儀短氣と存候也拙者方より眞劍を以勝負は不仕候得共二ヶ所の疵は渠を踏倒して脇差を奪ひ取候節自然と疵付申候と神妙なる申分也殊更原が親類は大分廣し諸角は一向親類もなきにより武田御一門方も原をば少々最負心のある上申分も神妙なり諸角は短慮にして無禮なり先年喧嘩雨成敗の儀內藤修理吟味の上兎角無禮有之故喧嘩起り申ことなれば向後兩成敗には致さず不禮仕りて人の腹立樣に仕掛候者を御成敗との別ケ條新式目の通り諸角助七越度に極り御一門方目附中信玄公の御耳に立られ候所橫田十郞兵衞小姓中を以て原諸角兩人御吟味の筋に付申上たき旨有之と披露す各存寄にも諸角御成敗の儀を申受手に掛け打べきの心と申合ふ信玄御聞被成召出されける處橫田十郞兵衞申上るは此度原諸角の喧嘩御吟味歷々御一門方御名代の上は相違も無御座拙者など申上るは如何に御座候へとも私兄弟儀なれば見聞計は我心ながら武士道の本意に相背き申候故御耳へ相達し申候元來無禮の元は弟甚四郞に御座候其譯は武士たる者匹夫へ對してさへ雜言は申さぬ法に御座候處諸角助七に向て首を切らるゝな抔と申故其跡で心易ければ社さもなければ捻首に致し見すべき抔申候由助七にも直に承り一間列座の衆中にも承り合候所其申口出合申候然れば士へ對しての雜言此上あるべからず雜言無禮の左すれば起りは原甚四郞にて諸角助七に答は毛頭無御座候殊更助七は武士の理に叶ひ候て腰物を以打掛候所原甚四郞は一切腰物に手をかけず蹴たり踏だり致したるは私儀彼れが爲に血筋の兄にて候得共世間へ對し面目なき仕合に御座候先年赤口關右衞門寺川四郞左衞門喧嘩の節雙方共に胸ぐらを取ての仕方一切腰物これなきは武士の道不吟味との御意是ある段御尤に候實父美濃守存命にて罷在候はゞ外聞實義家名穢つる無念に存し切腹仕らせべき事に御座候且原甚四郞儀は數ならねども某を始め親數多く御座候諸角には一門とても無御座候此度御詮議不分明助爛柯堂基話卷之六