22.5.1g爛柯堂基話卷之六七越度に罷成候へば原甚四郎には親類多く最負ある故利運となり諸角助七は離れ者故不運の仕合と可申は必定なり然る時は一人立の士は忠義も薄く武士道もたるみ可申候時は武田の御弓矢の障り御陣先の弱みと奉存候間甚四郞儀を達て越度に被仰付諸角助七は其分に差置れ被下なば難有奉存べしとの願男道の意地を立て申上ける各々眉をひそめ居ける所に信玄横田十郞兵衞が顏をつら〓〓と御覽被成御涙をはら〓〓と流され暫時ありて被仰けるは誠に弓矢の道は不及申平生武士道の切なる事潔白に操正敷者には武運も自ら備る十郞兵衞先年上州和田城を上杉一萬餘の勢にて攻寄べき沙汰を聞て此方の幕下なれば加勢を乞ふ其節望で參る者なし其方一人手の者組共に三百計の人數にて加勢の籠城いたし日本無雙の荒者謙信を一鐵砲に追散し關東に名を上げ候は鐵砲の術計にあらず汝が武運天に叶ひたる故なりと存ぜしは今思ひ當りし也美濃守は氣に入らざりしが信玄見所ありて備中守方へ養子に遣しける處左程まで武士道の吟味を琢ひてこそ有けるよな汝が申所無據といへども一門中の詮議相濟て披露なれば旁遠慮も有なれば諸角助七改易を許し雙方同じ答に可申付とて原も諸角も組の者不殘召上られ外樣の寄合組に被仰付但し所領の儀は信玄存生の間は原美濃守諸角豐後守兩人へ忠節の禮義なれば召放し難しとて其儘被下置誠に御仁心の至りと各々彌忠節を心掛しも理りなり翌日橫田十郎兵衞を召出され向後武士道の吟味場に罷出奉行は勿論一門宿老共の捌といふとも不屆事候はゞ異見可仕以來は橫田武士の大目付たるべしとの御事也但し大目付の役名是より始る座席物頭の上座也近年橫田備中守相勤めらるゝ也按るに橫田が言上の旨深意あり實義あり可感事也