黒龍會寄贈木)〓の危機論し內閣諸公に上るの書に擬す五廢の機吾徒默過するに忍びす、平生の宿論を質さんと擬す、諸公前閣弊政の後を承け、山縣立つて其責に任し以て內外の衝に當る、諸公す、殊に黨人の論難を排し巧みに議院を翻弄し、妥恊に盲從せしめ、增租繼續案を徹囘し、以て新債國用を補ふの策を取り、其進退の痕跡を晦まし、擧國の人心をして向ふ所を知らさらしめ、緩急夢を探るが如く爾る者、吾徒は諸公の其功を収むるに急にして且つ敏をるを慶し、翻て諸公の後圖に疑なき能はす玆に之を諸公に質し、〓て天下の識者に告け、百年の公論を俟たんと欲するなり、惟みるに藩閥の餘弊、大臣宰相恣まゝに時功を私し、天下善政
二なきや久し、官吏風紀の墮敗、政黨節操の墮敗、と〓育宗〓の墮敗は直ちに上下淫奢の俗をなし、而して歐米列國東洋を侵かすの勢、春潮の大江に遡るか如く、〓韓の衰運已に亡期に入り、亞細亞の振作聖智ありと雖とも亦た如何すべからず、諸公今ま何の謀ありて斯の頽勢を囘さんと欲する乎、諸公の内閣に立つや其時功の顯著なる者三あり、曰く日英同盟、曰く賣債の成効曰く妥協の成立是れなり諸公は卽ち其功あるを以て功となし、頽運を眼前尺寸の間に防くの道を得たり、惜らくは其功をきを以て功とるし、百年の計を立て政黨の蒙を啓き俗論を排除して、大に聖明の鴻旨を補翼せさるを、列國爭奪の間に於て、一國の建立を全ふせんと欲せは先つ國の尙とふ處を明らかにし、而して後其向ふ處を定むるにあり、故に爲政者宜しく其尙とふ所に隨がい助けて長せしむるを要す、英の英たる、獨の獨たる、米の米たる、其富强をなす素因實に玆にありて存す、今之れを諸公に問ふ、日本の日本たる、其一國の尙とふ處の者何物そ、大和民族二千五百有餘年の因習故俗如何之を贅言せずと雖とも明らかなり、乃ち諸公の之れを率ゆる、克く其道を得たる乎、將た其道を失へる乎其長を剪りて其短を助け均しきを謀る、是れ籬牆の花卉材をなささる素より其所なり、曰く我か民族の天資吝質に乏し、故に勤儉の素なし、貧弱玆に因す、誨へて勸めさるべからず、曰く我か民族の習慣彪武に過く、故に柔順の德なし、抗命玆に因ず、誨へて勸めさるべからず、曰く何、曰く何、悔へて勸め以て其俗を移し、之れを、歐米の文明異殊の習風に誘ない、其皮相に戀從せしめて、明治の風俗今日の現狀あるを致せり、文武の醜官、法に上るもの一年の惣計幾百千人、收賄の聲を以三
四で官吏の頭上に冠せしめ、御用商人の富をなす者と、姦官の職を賣る者と、吾徒をして指を屈するに遑なからしめ、官業の諸事多く失敗に了はり、枝光製鐵所の如きものあるに至る、而して奢移俗を蕩して淫醜習をなし、國法も竟に之れを制するを得す、吾徒は是を以て悉く之れを三十年來藩閥諸老爲政の誤る處となさすんはあらず、諸公素と閥族の餘統に出つと雖とも、其年齒位勳自ら第二流に屬す、之れを右にして衰耄の諸元老あり、之れを左にして鳥合の政黨あり、之れを上にして無能の貴族あり、之れを下して蠢爾たる官吏あり諸公の才幹之れを翻弄する、盤上の餅子のみ、文明の時流又た太た與みし易しとなす、而して諸公功なきを以て功となさす、功あるを以て功となし自ら其地を固ふして其術を行ふ大に澁れるが如し、諸公何を以て爾く然れる乎、」1吾徒は諸公に望むに、今ま直ちに三十年來閥族の餘弊を一掃し、滔々たる天下の頽俗を挽囘するの謀を以てせず、諸公は實に之れに任ずる其人にあらざれはなり、然れとも諸公は群鳥中の鴻鵠たらすんはあらず、群盲中の一隻眼者たらすんはあらず、吾徒の深く諸公に望む所の者は諸公の大に好む處を全ふし、所謂功あるを以て功となすの小功を捨てゝ、功なきを以て、功となすの大功を諸公の一身に聚めて、藩閥の季末太郞宰相あらしめたるを千古の史上に留めん事を冀ふなり、現今の頽勢は輙ち諸公を福するの好時となす、一國の尙とふ所未た明ならす國民の向ふ處未た定らす士の名節を賣る。娼婦の春を賣るが如く、元老貴族と議員官人利門の僅僕、たらざる者幾人ぞ諸公之れを役するに於て唯た命の儘而己、諸公盍そ亟かに之れを決せざる五
六日英同盟は對露の謀略に外ならず、露人南下の勢を防くば之れ直ちに〓韓の扶植而して我國の國防なり、按するに〓國順治以降、露人南下の勢は北方の漸運にして、露人は西比利亞鐵道の延長に隨ひ、陸續境を超へ來り廿七八年役後、潦陽の還附を我に强へ俄に步を進め、更に北〓戰役を利して滿州一帶の地を略し東〓鐵道の經營を了り、大に兵を移して險要を占有せり、今ま彼れの滿州徹兵の約束を蹈むと、蹈まさるは問ふ所にあらす、露人の南漸其兵備と之れに附隨せる諸般の設備は、彼れ武裝して我れに臨めるものにして、諸公の日英同盟を敢てせし亦た之れ玆に備ふる所以にあらずや、韓半島を失は、我北防何を以て立たん韓半島を全ぷする滿州の維持にあり滿州若し露の略す所とならは、韓半島何を以て守らん吾徒先つ彼我の情勢を按し今日の急を論せん、露人の南進は漸運なり、漸運とは何そや、曰く制し難きの勢ありて、地勢、國情、自然の數を利するを云ふ也、故を以て露人の竟に其藩域に退守して、北歐氷雪の國を以て其國とせさるを知る蓋し歐露封境の擴大、國を立て富をなすに餘りあり、而して其隣を侵し境を拓くに急なる、是の如きものは是れ實にスラーブ民族の退守に破滅して、進取に幸榮あるを自覺せるか爲めなり、露國人口一億三千萬中歐露にあるもの九千四百餘萬人、西比及中央亞細亞にあるもの一千三百餘萬人、之れを歐露の面積に當て一方露里に六人(千九百年の調査)のみ、之れを歐州列强に比較せは、獨の九十七人、佛の七十三人、澳の八十四人、英本國の一百二十八人、伊の百十人、何そ相隔たるの甚しき、露國地力の餘剩、卽ち是の如きを以て猶ほ飽かす、西比を拓き、黑龍を取り、滿州を奪ひ、國力不當の兵備をなし、駸々として其蠻七
八力を東南に逞ふするものは、蓋しスヲーブ人の本性にして露の國是鞏固秡くべからさるものありて存すれはなり、露國人口一億三千萬中、主人公たるスラーブは八千萬に過きず、其他は芬蘭、土耳古、猶太、ポーランド、等亡國敗國の諸民、六十餘色に屬し、中露の新事業は多く客民の手に歸し、保護貿易の利益は其大半亦客民の利潤に歸せり、スラーブ人か從來の仆野なる習俗を墨守し、農牧に從かひ固く國〓に遵律して、屯戎兵役に勤勞せる者は、客民の生存競爭に依り、一種の推移を促かし、交通機關普及して、諸種の新思想を齎らし來り、或は秘密結社となり、或は秘密出版となり、或は窮民の鋒起となり、漸次コラス帝家千年の謀を立つるに於て歐露の地區に永遠其專政の治道を敷くを期し難きを以て强大なる侵畧策に依りて其人心の破掟を防止しつゝあるものゝ如し、始め露人の南方を策するや、二百年來スラーブ人南向の勢を利し、〓國の敗亡に近けるを窺かひ、先つ黑龍を得、樺太を取り、而して浦汐の開港を企だて、其將さに成らんとするに及んで廿七八年役あり卽ち我遼陽を橫奪し旅大の要港を取り、大に海陸の軍備を圖り今や、殆んと其功を就せり、鳴呼平和聲言の下、海陸の大軍を以て人の國を取り民を屠り、自ら飽く事を知らす、露國國是の實行に向つては、其衝に當るもの之れを未前に察せさるべからす、不幸にして〓國の敗裂を以てし順治帝船廠の地亦た故蹟となり、嘉慶諸臣の苦衷前史に歸し、露軍の屯營、〓祖宗廟の地を超へて畿甸の外に臨めり、而して韓の貧弱、鴨頭綠水の流は鐵鐵の涉るを防き難く、斧斤長白山に入り虎豹逆さまに人間の地に逃れんとす、我か內閣諸公何の謀ありて此の衝に當らんとするか、諸公將さに云はん外交の秘密九
十は洩らすべらず平和は文明の假面なり、露〓の交渉は他の△逕ちに嘴を容るゝを許ささる所。政府は常に〓國に忠告を怠たらずと吾徒は諸公の此種の言下に露國東方の軍備益ます充實して我國内の弊政漸く其極に陷り上下の元氣文明の奢觀に衰頽し、經濟の更に窮苦に赴むくを見て手を曠ふして待つに忍ひさる也、彼れの滿州經營は巧みに漁夫の利を取れるなり、我が君民上下一意國力を彈して海陸の兵備を就せしは何の爲めそや、三十年來の我が屈辱を酬ゆるの深旨に外ならす、君民上下箇の屈辱を酬ゆるが爲めに一國の精を萃め、大敵頑蠻を伐つ、得失勝敗の數素より察せさるべからす、乃ち既往を顧みれは、好機屢ば至りて而して又た屢は之れを逸し、其口を左右に托して、天下の非難を避けしは當路の蒙なり當路の蒙は敵國をして、遂に十分なる軍備をなさしめにき今日彼我の優劣諸公旣に算あらん、今日を逸せは明日彼我の優劣も亦た諸公自ら算あらん、大敵をして猶ほ十分なる軍備をなすの時日を與へ、而して孤島の一國を以て之れに當るを期するは、蓋し是れ文明の廟算歟、吾徒は素より之れを肯するの勇なきなり、翻りて之れを考ふ多年の屈辱を酬ゆるか爲めに妄りに軍旅を起こすは、一國を全ふする所以にあらず、倫し之れを忍んて皇國を全ふするを得んとなれば、吾徒は猶ほ數層の屈辱を重ね受くるも克く之れを忍ふを甘せん、然れとも露人南下の漸勢は東洋百年の平和皇國建立の安固を許すか、露人は日本帝國あるが爲めに其南下の進渉を縱橫ならしむる能はす、故に露人東方の軍備は我れを殪すに足るを以て就れりとせるなり、始め露人の西比刺亞の境を定むるや、直ちに兵を進めて黑十一
±龍江省を侵せり、其黑龍江省を得たるや、更に大に海陸の設備をなし進て滿州を略せり、彼れ隣國の土壤を見る自家の苑囿に異ならす、今滿州猶ほ〓國領土の名ありと雖とも、其軍備行政水陸交通の機關は悉く旣に露人の掌中にあり、然り滿州旣に露人の物、彼れの進んて北方天山に向ひ蒙古を圖るは素より其漸運たり、而して其南下して鴨綠江を渉り以て韓を圖り、又た渤海の衝角を扼して中央支那を圖る、想ふに我が百年の前途知るべきのみ然るに我れ猶ほ首を畏れ尾を畏れ孤島に據りて彈丸の頭上に墜つるを俟たは彼れは直ちに進んて韓半島を取らん、韓半島にして又た彼の手に落なば、我れは是れ唯洋中の一孤城、險に據りて亡を俟つの外應に策なかるべし、是時に至らは露人は更に其鐵道を進めて、一線は中央支那に入り、一線は亞細亞の北境を直進して海に出でん、是れ卽ち露國が半球を席捲して、世界を指顧せんとするの企圖たり故に彼れ其の我れに臨むの謀、兩陣對出雌雄を一戰に決するの方畧に非さるは勿論なり、乃ち外防の險要を蠶食する、春潮の江汀を浸すが如く、漸を逐ひ順を重ね、大に戰はさるの兵を養なひ、戰を避けて勝を大局に決せんとす露人豈に彈丸を以て我れに戰を挑むことをせんや諸公倫し戰を彈丸に挑まさるを以て開戰の機なしとなさは我帝國の安固は三年を出てずして忽ち破れん、吾徒實に多年の屈辱を忍んて敵國軍備の完成を俟ち、敗數の眼前に迫るを看過して平和を歡呼するは、亡國の祝酒に醉ふて萬歲を呼ふの感なからずんばあらす明治二十八年以降皇國の軍備擴張は實に之れ對露の軍備なり、其對抗優劣の數今ま將さに伯仲の間にあり、故を以て露國は刻下開戰の不利を知る、露國が開戰の不利を知れるぱ是れ十三
十四我れの開戰に有利なるを察すればなり、悲ひかな皇國の國力は實に今日の軍備を永久に保續するを許さず、況んや露國の日進月步せる東方の設備に對照比肩して、順次に我か軍備を擴張するをや、過去明治三十二三年以降、今日以前に至るの間に於ける對露軍備は、其對抗優劣の數多く我れに利なりしなり、然るに露國が南下の針路は少しも之れを弛めず、長征我れに迫まるの勢.一日は一日より急にして、今日に至り諸般の設備旣に我れを凌かんとす、倫し其れ諸公が、這の滿州問題の下に於て大機を逸せんか、彼れの軍備は俄かに增進し勝算を未前に決する能はさるに至るなり、諸公夫れ深思熟考せよ、露國が過去の手段は、常に勝ち難きの兵を以て、戰はさるの戰を挑み能く勝を收めて其地を奪ひ、傲然として我れに迫りしにあらすや、爾後露國が優に必勝の軍備を立て而して、彈丸の戰を挑み我れに迫るに至らは、皇國百年の事素より期すべからさらん刻刻露國が戰を避けて滿州の橫奪を永久ならしめんとするは、今日の開戰に不利にして明日の開戰に有利なるが故なり、想ふに彼れの今日戰を避くるは勝を大局に收め半球を席捲するの志あると、尙し滿州に於て一敗せは、歐露の內治又た復すべからさるに至るを知るが爲めなり、歐露内國の事情如何は、諸公素より能く之れを知らん其經濟の基礎太た鞏固ならさるに加へ、其東方經營に費やす處極て多く、歐露人口九千四百萬の負擔は年々增進し、而して彼れの鐵道侵畧策の反面には稍や文明の事物を輸し來り、官吏の橫暴と、兵役の煩苛、貿易の亂調は、盡く退守の露國を安全ならしめ難く、加之ならす虚無黨、無政府黨は危激なる禍胎を藏し、ニコラス帝家萬歲聲裡屢ば乾坤の破碎を夢みしめ、客民の大數十五
十六と不平の露民は常に革命の一日も早からん事を祈れり、露政府は實に斯の推移を知れり、斯の推移を知るが故に、克く其國是を遵りて侵略を奮勵せり、其侵畧は實に東亞を一貫して英國の背面に突進するを期せり、乃ち露人の侵畧.區々の利害を顧みす、企圖の方向に直進するは歐露小亞細亞各部一切の鐵道工事を中止し、其費用を移して西比東〓.兩鐵道の完成を急速ならしめたるに見ても明なり是れ、是れ露人が退守の至難を知るが故に侵畧に專心なる所以にして、其侵畧の進路必す我と衝突を免れさるを察し、以て東方の軍備をなせる所以なり、然り、露國か常に虎尾を蹈むの狀を以て我に處し、巧みに開戰の機を緩むるもの、是れ亦た深く察せさるべからすとなす、」露國は其宿望を達するの上に於て、刻下戰を避けて其軍備の充實を俟つを以て利なりとなす、乃ち戰はさるに敗るゝの日本を以て、箇の戰を避くるの露國に對し、滿州問題を擧けで之れに當る、彼我の情勢如何は諸公旣に知る處吾徒今ま必しも之れを贅せす、我れ先つ露國の尤も憂となす所を付り皇國の戰はさるに敗るゝ所以を論し、之れを諸公に質さん、露國刻下の東方軍備は、皇國の軍備に對し必勝の數にあらず、必勝の數に非ざるの兵を以て輙ち戰を交へ敗を取らは、露國は滿州及ひ旅大浦汐其他の設備と鐵道沿路の諸要を亡ばん、露人素より之れを憂ふ、又た東洋海上幾多の軍艦と、幾萬の將士を喪はん、露人素より之れを憂ふ然れとも之れを憂ふるは軍國の常憂。日兵の大擧して西比刺亞を橫斷し、歐露の境を超へてモスコーを突くの難きを知れり露人何そ深く之れを憂へんや之れを憂ふ更に之れより太たしきものあり、露人が其國力を傾注して經營せし南方設備一朝にして破壞されんか、十七
十八幾千萬の生民を誤り。國家經濟の紊亂を來し又た如何ともすからさるに至らん露人素より之を憂ふ然れとも之れを憂ふるは軍國の常憂、ニコラス帝家巨億の富と其軍事準備の正貨は、猶其經濟の克復を圖るに足れり露人何そ深く之れを憂へんや、之れを憂ふ更に之より太たしきものあり、諸公夫れ猶ほ未た之れを察せさるか、露人が刻下若し東洋に一敗せんか歐露の民心は竟に統治すべからさるに至る也、露國は現時の情勢に於てすら、其客民の統治、及ひ虛無黨、無政府黨、革命的人心の推移を禁竭するに苦めるに非すや、此種の露民は其敗飲の負擔と內治の亂脈に接し、更に劇甚なる變化を來し數年を出ずして歐露の天地は鼎沸の勢とならん、而して四境の諸國露人の凶暴に苦みつゝあるもの皆立つて其虛に乘せん、露國の憂ふ所實に玆にあり、故に露人の刻下戰を避くる所以のもの、猶ほ萬全の必勝を期し難きを知る一なり、敗後の狀態其自國の匪亂叙上の如きを知る一なり、皇國の竟に戰はさるに敗るゝの大數を知る卽ち一なり、皇國か今日の兵備を永久に持續するを得さるもの露人既に之れを知れり、地力の窮瘠、人口の剩多に對し民人移殖の謀なき露人亦た既に之れを知れり、皮相の文明、民人浮薄の趨向、奢侈の流行、露人亦た既に之れを知れり國家經濟の薄弱商工の不振民資の窮乏露人亦た既に之れを知れり、而して現時一國の大人物なくして宰相大臣の與みし易き、露人亦た復た深く之れを知れり、乃ち以上の諸要を知れは戰期を緩むるに於て、向後皇國の戰はさるに敗るゝの數を知れるなり、今年以降露國海軍の增大は、增ます新銳を加へ漸次其噸數倍蓓し來り、之れに準する陸軍の設備と、海岸陸上諸種の設備亦た隨て完成十九
二十し、其の必勝の數を收めて我れに當り、我れをして分厘も大陸に手を染むるを許ささるに至る數年を出てざる可し此の時に至らは我が兵備と國力とは甚たしく間隔し、勝を萬一に期するも昨夢に歸せん諸公にして倫し今日の期を逸し千年の悔を遺さは諸公は終に我四千五百萬同胞と二千五百年の宗廟を如何とする、我れ今日露人の罪を鳴らし一戰其南下の鋒を折らは露人は退て内政の煩に疲痛し容易に東洋を侵畧せさるべし露人南下の勢挫けんか、滿州素より安全なり滿州安全なれは韓半島自ら憂なし、而して山東の獨乙は孤力とならん、孤力の獨乙は遂に英米の商業侵畧策を凌くを許ささる也、論者の曰く、今若し日露の戰をトせは其勝算或は日本にあるべし、日本にして卽ち勝を奏せん乎、其日本の得る處、韓國利權の大部と滿州樺太の土壤とにあるか、韓の利權は日本の既得權にあり必しも戰ふを要せす、滿州樺太の土壤は之れを得るも日本の國力其經營の煩に堪へさるべし、而して英米獨佛は戰後の創傷に乘し、相競ふて各其利權を進むることを謀らん、就中獨乙に至りては其爲る所殆んと將さに測るべからさるものあらん、國力を〓して戰を開き列强の爲めに利權を分賦して、我か得る。所のものは其失ふ所の者と相償はすと此種の諸說は盖し皮相を知りて肺腑を察せさる小康者の取る所、我れ更に之を辨せん一國の軍事は巷盜の筐笥を侵すの心を以て圖るべからす、一國の經濟は商估の財貨を求るの心を以て圖るべからず、利。害察すへく理義捨つべからす時あつてか理義に憑りて利害を顧みさる事ありと雖とも利害を察して理義に捨つる事ある二十一
二十二可からす、是の如きの時は唯君民上下忍んて其精を養ない他日を待つのみ、乃ち之を待つて其機を得る實に一國振發の期、其期を逸して一國の軍事を誤り、一國の經濟を誤り、其國を敗亡に向ばしむおもの、宇內大小諸邦、比々其迹相續けり、爾來露人の東方を侵畧し我れを悔謾せし幾度そ、利害を察すれは露國伐たざるべからす、理義を察すれは露國伐たさるべからす、然るに我が君民上下深く之を忍んで其精を彈し軍備を充實せり、今や既に伐つて以て罪を問ふに足れり諸公必らす之れを伐つの謀あらん然れとも露國の戰を避くるに專一なる、武裝的平和聲言の下締盟諸國の是認を得て諸公を欺がん、諸公蓋し亦之れに處するの謀あるべきなり、憶ふに露國の滿州を取り直に損傷を蒙るものは、英にあらす獨にあらず、米佛にあらず卽ち日本なり、故に日本は獨力を以て勝算をトすべくんは、直に討露の軍を出べし、現今の兵力ある日本たる者焉んぞ他の同盟を顧慮するを須いんや、英に依りて露を伐つは決して、策の得たるものにあらず、露に勝つて英の約を堅ふする實に萬安なり、玆に我れ露に勝たば英必ず更に其締盟を堅ふせん、獨佛其後を窺ふも亦た如何すべからさるなり、諸公盍そ其開戰に遲々たる乎今其れ小康非戰の輩ありて諸公の爲さんと欲する所を防阻せは、諸公盍んそ其名を擧けて吾徒に告けさる、吾徒直ちに起つて其舌を緘せしめん、彼れ猶ほ其舌を緘するを肯せすんは、吾徒は吾徒の所決あり、人酢を作るも敢て辭せす、諸公盍んそ其名を擧けて吾徒に告けざる、再たひ〓國を伐つて敵國を利し、三たひ外交に破れて〓韓に威信を墜し、手を束ぬて敵國の設備漸く完きに及ふを待つ、比して而して我猶ほ戰はさるの軍備を進めんか、國力遂に之れ二十三
二十四を支へ難し、是の如きの漸勢に在りて平和を口にし威信を〓韓に繫き以て之れぶ保全扶植を圖らんと欲す、敗迹の相續く何そ怪しむに足らんや、諸公盍ぞ亟かに討露の軍を起さる、今日露國を伐つは勝算我れにあるなり、諸公盍そ亟かに討露の軍を起さる、今日露國を伐つは〓韓の信賴を我れに占むる者也、諸公盍そ亟かに討露の軍を起ささる、今日露國を伐つは我君民上下の元氣を興す者なり、露人、の南下は滿州を得るの謀にあらず、滿州に其根底を養ない東亞を亡ほさんと欲する者なり、故に我か露國を伐つは滿州を復するの爲めに非ず、須らく露國をして再ひ南下の勢を得さらしむるを期すべきなり、論者或は云ふ、戰意を決して外交に當る、露國の戰を避くるに專一なる必す滿州の徹兵を履行せんと、之れ何等の愚論ぞや、露國は既に約束を無視し、滿州の經營を果せり、今其兵を徹するを以て之れを恕せは、其旅大に割據して東〓鐵道を利し、退て養ない出でて侵かすの便、猶ほ彼の手にありて、滿州の實力は永く彼れの占有に歸せん事明瞭なり、卽ち之れを露人の手に歸するの間は、露國が一時滿州の徹兵を認諾するも蒼蠅を掃ふと何そ異らん而して彼れ一時退て其兵力を養ない、西比の乾坤を捲いて再ひ南下し來るに至るは、蓋し三年を待たざるべきなり、我が露人に對するは唯た今日の戰にあるのみ、今日の戰機を逸せは露人は遂に東洋を畧奪するもの也、諸公空しく露人の欺く處となり、今日の事を平和の談判、滿州の徹兵に己むこと勿れ、諸公若し是に己まば東洋平和の克復と、皇國の北防は遂に復た望むべからさるに至らん而己諸公更らに克く之れを察せよ、我が人口の增殖に對する移植事業の現狀は未た一定の軌準なし、南米濠洲の剩地ば宜しく二十五
二十六我民を移し、我が第二の根據を作るに足れり、而して儘ま彼れの拒否する處となり、彼れの左右する處となり、移殖者をして遂に其業に安んせしむる能はす、其責實に國家にあり國家倫し十分なる保護を與へ其業に安んするを得せしめは移殖民の之れに向ふ者、水の卑きに就くが如くなる必然あり、從來の爲政者殆んと玆に省みる處なし、又た〓韓の扶殖を口にしなから、我國民の對岸咫尺の地に移る者の割合に少數にして、其勢力の微弱なる今日の如きも從來の爲政者殆んと玆に省みる處なし、諸公立つて其後を受け、其從來の爲政者たる諸元老を元老とし、玆に之れを救ふの政を定めんとす、蓋し國民をして其移植事業に向ひ安んして職を就すの保證を與へずして可ならんや諸公未た之れを國民に明示せず、吾徒國民と亦た諸公の之れに處する如何を察し、心中窃かに危む處なくんはあらず、諸公深く記憶する處あらん、廿七八年以降、皇國が露國に對し諸種の屈辱を忍ひ、爲めに〓韓民の事大心をして、常に動搖せしめ、而して列强の皇國臣民を悔慢して、我移植事業に對し、放まゝに拒否防止の政畧を弄したるを、然り而して皇國は此間にありて實に國力の精を彈し其兵備を就し、爲めに內政上多大の弊害を釀せり、國民上下明らかに其弊害の來るを甘んし、其膏血を捧けて惜まさりし者唯た今日を期せしなり、今日を逸して現在の兵力を向後猶數年に保續するは益ます其内政の弊害を增進して、國家は遂に如何すべからさるに至る火を觀るよりも明なり、當路者箇の明日なきの兵備をなせしは、是れ直ちに露を伐つが爲めにせしものにはあらさりし乎、今日我れ露國に勝ては〓韓民は我れに歸賴するの外、其生命財產の保護を全ふするの術なし、〓韓の扶植を圖る此に至二十七
二十八りて始めて其端を啓かん、而して英米二國は其利權を進むるの上に於て、更に我れと締盟の實を堅ふし來るは理勢の漸運なり、而して佛の南方事業は廣東廣西の匪亂に阻害せられ、獨の山東經營は孤力に變し、利害損益の算相當らさるに至らん、故に今日露人を伐つの謀は露人が得る處の土壤を得で直ちに之れに代ぱらさるも可なり又た更らに多大の償金を得さるも亦た可なり、其彼れが東洋に於ける海上の艦隊を破碎し、其陸上に於ける要衝の設備を奪は、、彼れは遂に黑龍江以北の地に閉息して、歐露内部の紛爭に斃る可ればなり、而して我れは〓國の歸賴。英米二國締盟の上に於て、優に其戰後の經濟を復し。東洋の保全を完ふするを得以て列國が我移殖民に對する體度を一變して第二の日本、海の東西に起らん内國頽勢の滔々たる、尋常手段の能く囘復すべがらさるは我れ既に之れを論せり、一たび露人を伐たんか、其戰後の經營と共に國政施設の方法自から變せん、之れを變して一國の尙とふ處を明がにし而して其向ふ處を定め、日本の日本たる所以に立つて內外の衝に當らば、今日の、朝野奢侈淫陋の俗國家經濟の根本を毒する者は、直ちに勤儉の俗に化せん、國國に偏安し墳墓を堅守して國民新進の氣象を阻む者は、直ちに新猛の風に化せん、貧富の懸隔益ます甚しきを加へ國法の偏律なるに憤り、危激の學說を以て秩序を攬破する者は、直ちに興國の善民に變せん、爾く然る時は新事業も亦依りて以て興り、新殖民地も亦依りて以て拓け、〓韓の扶殖成り、列强の我が移殖民を防阻するもの、手を擧けて迎ふるに至らん、勢ひ如恁は我が建國を磐石に措き千年の殷盛を期する何の難き事が之れ有二十九
三十頽俗の推移、戰を避けて囘復すべからさる所以の者何ぞや、吾其奢侈潘陋の俗、國家經濟の根本を毒するの事實を擧けて諸公に問はん、我地物の四千五百萬民生の衣食住に給するに足らさるは年々の歲計を按して明なり之れを上にして敗德の官吏彌よ多きを加へ、之れを中にして政黨の賣節漢彌よ多きを加へ、之を下にして姦詐遊食の者彌よ多きを加へ、法律〓育あるも社交の制裁なく、資力一局に兼併せらて細民の業を失ふもの人口の大數を占め、而して國法は救濟調齊の道なく、爲めに實業の不振を來たし、資力の澁滯を來たし、奢侈淫陋の風俗は征利壞德國を危ふするに至るも顧みる所をく曰く是れ歐州文明の俗を擬する也、曰く是れ北米文明の俗を擬する也、卽ち一國の習風故俗其民人の尙とふ處を移して定まる所なし、諸公今ま必しも此の頽俗の推移を尋常の統治を以で囘復し難きを知るものたらずんはあらす諸公又た亦た此の頽俗の先驅を自らするの嫌あらずんはあらず、吾徒が諸公を以て之れを挽回する其任にあらすとなす者は諸公の德木た必すしも之を挽回するに足らす、又た未た必すしも之れが挽囘を圖るを要せす、今ま一たび露人を伐つの師を出し國民の心を一にせは、戰後を策するに於て頽俗を囘すの策國家經濟を圖るの策別に其人あるあり、吾徒は大功を諸公の一身に贈つて萬世の榮を鼓吹し以て藩閥の終末を賀するを吝ます是れ露を伐つの内政に及ぼす第一結果となす更らに島國に偏安し墳墓を堅守して新進の氣象を阻むの事實を擧けて諸公に問はん。人世の情義は素より利害の數より打算して齊一を得べからす、其民其饑寒を厭ふの心は均しく是れ一なり而して其恩愛眷戀の情。饑寒も亦た辭せさるここと三十一
三十二あり、其死亡を厭ふの心は均しく是れ一なり、而して其憤激悲愁の情死亡も亦た辭せさることあり饑寒辭せす死亡辭せす、其民をして向ふ處に斃れて恨なからしむるもの統率者の其責に任する唯た立法の成文に準據して其德操に省る處なくして可ならんや、然るに現今我が先進上流士人の趨向は、德義操行地を拂ひ、細民の向ふ處を明ならしめす、又其歸賴する處を鞏からしめす、國法は土地の兼併を保護して、農商工の大部分は其耕土宅地を有資者に併有され民生の托する所其基礎なくして常に浮動し、國民の大半定業に安せず、然り、無情なる先進者は箇の剩民の天下に滿ちて衣食を得るに苦しむを見て轍ち曰く、盍そ出でて業を國外に求めざる、〓韓往くべし濠米移るべし、歐州列强移殖の例云々、墳墓の地を堅守し手を束ねて饑死を待つ、皇國の故俗非にして頑民誨へ難しと、嗚呼中心一點の情なきものは必す文明の賢者、皮相の摹傚に之れ走り其本源を顧みさるものは必す文明の達士、四千萬民生の托する處爾く其れ危し矣、我徒は曾て我が當局の移殖民を企つを見、中心之れを喜ろこひ其成功の一日も早からん事を禱れり、而して米濠の我が移民を防阻するに當り、當局が唯々然、諾々然、順次に手を歛めて、口實を左右にするを見、又た北方出稼の漁民商民に對し露人が常に殘酷なる取扱をなすを知りつゝ、當局が何の云爲する處なく看過し放然呆然手を束ねて口實を左右にするを見、皇國の現情は、實に第二の日本を興すべきの元氣を喪もい、先進上流者の德操なき、尋常を以て斯の民心を復興すべからさるを嘆し、今日に至り之れを討露の一擧に囘復せずんば、再ひ振興の期なきを認むるなり、卽ち强露を北方に敗り得は、東西南北我が移殖の事業勃然として起る、吾三十三
三十四徒は期して之を疑はず、剩民の饒多なる日本の如き、地藉の貧瘠なる日本の如き、而して其民人の義に激する日本の如き、諸公討露の機を逸せずんは、我國民たる者其死亡の榮何そ之れを辭せん、露に勝つの數我れにあり、諸公平和に抅々して、國民新進の氣象を阻み、國家の澎張を妨くる勿れ、是れ露を伐つの内政に及ぼす第二結果也、貧富の懸隔益ます甚たしきを加へ、國法の徧律なるに憤り、危激の學說を以て秩序を攬亂する者の事實を擧けで之れを諸公に問はん、我徒は必ず箇の國家の規劃を人道說に極論し、言ふて行ふべからさる底の理想を皷吹するを好ます、然れとも箇の國家規劃の善惡兩端を拉し、現今の推移を考へ我が將來を豫想せは善向の傾ならさるを疑はさるなり、凡そ一國一民族の消長は、其素因必ず遠源あり、宰相大臣の天下に臨む、蓋し0察せざるからす、皇國の既往を鑑み將來を徵すれは、公道公福の其民を齊ふせすして、國法天德を阻隔するの憾なからずんはあらす、我徒は三十餘年來の閥族政治、未た必しも悉く非なりと云はざるも其民力を養ふに於て、其民產を興こすに於て、其田制を策し、其經濟を圖る、大に誤れる所あるを責すんはあらず、諸公宜しく之れを察せよ、國家が國民生活の主要なる農業に對する法制は、寧ろ眞農業の大數を保護せす、却で眞農業者を窮苦ならしむるの觀あり、近く之を省みれは、明治初年土地所有權の附與地租改正ありてより以來の結果は地藉の國法の保護を受くる極めて深厚なるに反し、各小農の所有地は、順次に非農業者所謂る資產家の手に兼〓せられ、而して議院の開設、撰擧權の附與は、直ちに土地所有者が參政權を得るに至り、更に土地兼丼の激甚を加へ、今や全國地藉の大部を擧三十五
三十六けて、之れを非農業者の手に歸せしめたり、我國古來國郡司が田藉を領有せし時代の因習は、農民等素より其貢租の煩苛に苦しみしも、今日の眞農業者なる小作人が、其作收の六割以上を地主に收歛されて、國法は唯だ地主の保護のみに偏し、棄てて之を顧みさるが如き、悲慘なる治下に立ちし事はあらさる也、殊に都府市街宅地の益ます一局に兼〓されて、大部の商工多く賃借家屋に住し、其所得の三分の一を移して、借家賃に投ぜざるべからさるに至らしめしは、國法の遍律と云はさるべからず、諸公は第十七議會に於て增租繼續を提議し議院の賛同を得ず、竟に解散を決行し、第十八議會に際し苦心經營盲從妥恊の策を立て前議を徹囘せり、國法の地藉を保護する是の如くにして、其多數農工を虐する是の如く爾り、今ま之れが救濟を國法の規劃範圍に策せん事固より望むべからず故に激して發する者は社會主義を講し、人道主義を唱へ、世界主義を云い、曰く均產主義、曰く無政府主義と紛々擾々或は危激にして眼中君上を顧みさるものあり、或は險獰にして論頭柔和を飾るものあり、要するに一大革命の分子たり、諸說民人の肺腑に入り、機を得て震發するは素より多年の後にあれとも、國家の非政は必す之れを助けて、其苗種を播殖するの地を與ふものたらずんはあらす、諸公吾徒と豊葦原國土の中、箇の不詳の聲を聞くに忍ひず、諸公玆に討露の策を決し、大に勝つて一國の趨向を變し、內政の基礎を立て、國民をして新興の衝に立たしめ、善民の勞力を殺くの地主資產家なからしめよ、是れ露を伐つの內政に及ぼす第三結果也、露を伐つの內外に及ぼす所、叙上の如く爾り、今日露人を伐たずんは、他日露人必す我に冠せん今日の勝必ず我れにあり、他三十七
三十八◎◎日の勝必ず露人にあり、露人伐たさるべからす、露人伐たずんは我が國權何を以て立たん、露人伐たさるべからす、露人伐たずんは地利民和を捐つるなり、露人伐たさるべからず露人伐たずんは我民力國力共に彈くるなり、嗚呼我れは露人に對し平和の論抗を要せさる也、露人に對する平和は、我國敗亡の素◎内を寄くものなり、論首往々にして云ふ一國を兵の動かす素と容易ならず、世界の文明は常に平和の進步を望めり國民の勇氣を戰爭に濫用するは、世界に向て不信を賣るなり況んや我國は世界に向て好戰國の名を搏せり、玆に又た露に戰を挑む、更に世界の列國に不信を重ねて、一國の經濟と隣交の和親を破り、大に國力の發達を防けん、戰爭は實に世界列國の輿論に抗するもの也、東洋の一孤島を以て世界の與論に抗するは、遂に百年の大計を誤る者なり、如かす徐ろに平和を以て、東洋の頽勢を挽囘すること、今諸公の事每に英國の指顧を待ち、米國の意向を窺ふもの、或は竝に憚る所なきには非さるか、諸公夫れ惑ふ事勿れ、世界の文明は實に平和の進步を望めり、平和の進步を望むが故に列邦の兵備は均勢の上に戰を避けつゝあり、强者は之れを失ふを恐るゝが故に平和を言ふて弱者をして遂に起たしめさるを策せり、我國我民族と東洋の敗亡を平和言下に甘受せは、國家は一艦を浮へ一兵を養ふを須ず、我徒は文明を歡呼して平和に降伏し、我が子孫をして露人の使役者たらしむるに忍ひさるが故に直に戰端を開かさるからずと云ふ者也、世界の輿論は決して弱者に賛同せず、好戰と非戰とは世界の論評に任せて可なり、大盜奪ふ所の物を我に復して、其罪を問ふは我か權のみ、世界の輿論尙し辱に屈して一國の威武を捨て猶ほ平和を口にして敗亡を俟たしむべ三十九
四十しと云はゝ我徒は一國の民生を盡し、一國の府縣を焦土たらしむるも、斷々乎として世界の輿論に抗して起たんのみ、諸公未た之れを首肯せさる歟論者の云ふが如き〓世界の輿論なるものは、纎弱浮薄にして一考に資するに足らず、彼れは我國が戰を好むが爲めに、世界の平和に防害を與ふ者なるが故に、兵力を以て之れに臨むと云はず、又た貿易を阻絕すと云はず、我れ敗を取れば其敗に乘して威を振るい、其利權を進めんと云ひ、勝を収むれは其勝を稱して禮を盡し、其利權を進めんと云ふ者也、文明柔和の頽俗、平和を以て東洋の頽勢を挽回するを期するは實に木に依て魚を求むるより難きなり、這箇文明の頽俗、歐米の權變的平和論下に昏醉する、其蒙愚亦た吾徒の一笑に値せず、諸公の内治に任し外交に處する、素より從來の宿弊一朝にして除くべからさるものありて存せり、吾徒亦た必しも諸公の責を問ふに、之れを其繼續事務の上に於てせず、唯其之れを變更改正するの任、一に諸公にありて、而して諸公の深く玆に勞するの煩なる、翻て其内外の急務を處するに、遲滞の痕迹あるを認むるを憾むなり、吾徒は諸公の巧に政黨を翻弄するを見て、大に諸公の術智あるを稱し、又た盲從妥恊の後、政友會の内訌伊藤侯の入閣を見て、政黨者流の骨魄氣節なきを嘆したり、諸公何そ是を以て自ら足れりとせんや、元老侯伯を拉して之れを〇〇に集め、禮を以て鍵鎖となし、怯露に耄する者をして、放まゝに言動すること能はさらしめたり、昨日政友會の伊藤侯たるもの、復た翻で樞密院議長の榮を辱ふし、平和言下怯露に耄して尊爵に蠢動を得さらしめしは是れ盖し諸公の曾て期する所たらずんはあらさるなきが四十一
四十二眼上の贅瘤庸醫は切りて之れ除かんと欲す、若し誤て其筋脈を斷せんか、或は將さに生命を損さん、倖に治するも、傷痕瘢々痛疼を忍ふの償に足らず、諸公の美顏未た必しも眼上の瘤あるなからずんばあらず、諸公の顔國家と亦た更に貴重すべし、其瘤あるを以て庸醫の治に傚はさる者。諸公の諸公たる所以にして、眼上の贅瘤藩閥の元老たる者亦た未た必しも諸公の頑師たらさる無きを知らす、諸公の元老を處せしは其巧術餘りあり、吾徒は更に瘤の諸公を病ましめさりしを慶し其勞を多となす、步は江を渉る可からす、視は壁を透す可からず、吾徒何そ諸公の秘密を知るを得ん、又た何そ必しも之を知るを要せんや、乃ち吾徒は諸公の秘密を知らさるを德とするを以て、今ま之れを言談せず、唯た挽近東洋局面の推移を見て、諸公の對露方針如何を默了せしこと數次にして己ます、蓋し諸公の其事務を處するに於て、新猛ならさるの憾あるもの、或は是れ前事の補繕を終るに苦しむ所なき歟を察するなり、諸公願くば玆に抅々たること勿れ、凡そ文武の有司內外の當に當り、各其職責に任し、其分を失はしめさる所以の者は、諸公之れに任して專且重からしめさる可からす、此に其廟謨の定まつて方向の動かさるもの存すれは有司の衝に當つて其職を盡す純一にして、諸公の廟堂に坐し、綱を引て事を處する、十指の其手に隨ふが如く爾らん、諸公の現今の事局を處する亦た爾く然らさるものなからんや、吾徒は諸公の討露に遲々たるを見て、是れを之れ疑はさるを得ず、諸公は實に皇上の親任に憑り、大政を憲法の範圍に幹せり、元老何そ諸公に加へん、一國の輿論欝積して討露の一日も早か四十三
四十四らん事を祈る大旱の雲霓を望むが如し、元老何そ輿論を排せん、元老中の諸公の後援たる其人は、憶ふに諸公の爲めに籌劃の勞を吝まず、宜なる哉、諸公の諸公たる所以の道を盡すに於て、其元老を凌くを敢てせさるを、討露素より國家の大事、國士たるもの各其信する處に憑りて其議論を上下す、吾徒は其主戰たると其非戰たるとを問はす、其論據の存する處を探究して、國家の前途を憂へずんはあらず、然れとも苟安小康何の論據なく、怯露に昏迷し、國家經濟の他日を察せす、頽俗の暗流を省みす、平和言下自ら爲めにせんと擬し、或は黨人の鋼囚に居て、大功の諸公に歸せんとするを妬み、内外の大勢を察せず、非戰を言ふ者の如き、吾徒は之れを齊しく皇上の臣民として認むるに忍ひさるなり、諸公の細心なる、盖し詳かに之れを知らん、殊に世の所謂實業者流に至りては、其貪瀆言ふに忍ひさるものあり固より諸公の咨問に資するに足らざるなり、吾徒曾て之れを聞けり、京釜鐵道の企圖に際し、元老某侯爵有數の實業家を聚めて咨問する處ありしに、蠢爾たる實業家は、悉く銖鋼の算を按し、明答する處なく、唯た相顧みて相窺ふの觀ありしに、三井の私僕、實業家其人ありし、中上川彥二郞出でゝ内國利率の算位、其豫算の利率と相比せずとして一言の下之れを難し、其某侯爵の爲めに怒言一斥さられ、首を縮めて又何の言ふ處なかりしと、嗚呼箇の巷盜估人の輩何そ其義務を辯識せん、何そ其德操を遵守せん國家が平生其實業に對し過等なる保護を與へ、誘掖を取り、其富剩に其靖安と其待遇を許せしを忘れ、其慾毒を嫁して國運の進路を遮障せんと擬する、何そ一の中上川に限らん、現今の實業者たるもの、盖し皆斯の中上川たらすんはあらす、是れ吾徒の呼四十五
四十六んで巷盜估人の輩となし、諸公の咨問に資するに足らすとなす所以なり、諸公にして其所決に依り動かすんば、箇の巷盜估人たる實業家を使令する、奴隷を使令する如くして可なり、是れある哉諸公克く之れを知り、而して復た茲に躊躇せす、今や既に廟議を決して内外の時局を處せりと、憶ふに露將の去りてより以來東洋の乾坤稍や沈靜なる如き者、或は其氣壓の欝積して脈發の期に近ける者には非さる乎諸公克く露人避戰の術中に魔せられ斯の大機を逸する勿れ、〓國載貝子歸りて、露國クロバト將軍來り、將軍去りて旅順に入り、滿州の諸要を巡り、復た旅順に入り、平和を聲言して歸程に上れり、此間時局の變還吾徒の聞く所多く機微に屬するを以て、諸公と之れを默了せん、然れとも其極東會議に於ける、平和の聲言下に於て、更に滿州韓境の兵備に專念なる者は、露國の用意知るべき而已、吾徒曾て之れを論せり、露國が滿州の返還に意なきは、關東州總督を旅順に置き、滿州一面の軍事行政を管せしめしに見るも明瞭なりと、乃ち露國の避戰に專念なる、諸公の强硬なる抗議に向て、一時其得占の一部を放棄するを難せさるべしと雖とも、滿州全部の畧奪を放棄する如き事は、斷して之れを諾せざるなり、露國が西比滿州の經營に向て費やせし處の費額は、現に十餘億留の巨額に達し、露國外債數十億留の强牛に當れり、斯の巨大なる外債は、露國國力の伸張に依りて、歐州諸强國間の市價と信用を支持せるも、滿州の權利を放棄して、自ら退縮の體度を取るに至らは、忽ち之れの支持の困難を來し、牽いて內政の紊亂となり、遂に敗亡の運に陷るものなり、露國當局の士人固より之れを知れり之れを知るが故に其避戰策下に滿州の放棄を敢てせさるなり、戰はさる四十七
四十八に敗ぶるの日本と、退縮に亡ふるの露國は、實に兵火を避けで相立つペからす、諸公は盖し露國に對し滿州徹兵の約を履まさるが故に、結局の手段を取るものに非るべし、露國は早く列國に對し、其東方經營に於て約束を無視し、而して皇國に向て至大なる武裝を擬して戰を挑めり今露國が平和を聲言して交戰を延ふるは戰鬪中の小進退にあらずして何そ吾徒は前年芝罘定約日〓兩國使會見の際に於て、露公使其帶劍を脫し之れを我か國書の上に横たへ、我國使を辱しめ、我國權を奪い、而して其主張を貫きしを聞き、露國挑戰の初期となせり、爾來殆んと十閱年、當局の時事を處するに拘々戚々として、内國經濟の遂に今日に至るを察せさりしを恨み、諸公の續いて內閣に臨み、以て滿州徹兵の期に入りしに際し、深く望を諸公に屬し諸公の今日の機に乘し、大賊を殪して、內外の治道を振興するを待つ者なり諸公猶ほ克く芝罘定約の當時を記憶せば應さに兵氣を遲疑に阻喪せしむること莫る可し、然れとも諸◎公の堅く强硬を聲言して決行に猶豫せる或は他の與國の仲◎裁に嘴を容るるの餘地を爲るに至らん吾徒は之れあるの遂に戰機を逸する兆をきかを憂ふ吾徒は今ま二三大臣の交秩、國費度支の變異を以て諸公を責めす、寧ろ諸公の之れに處するに毅然たらさるを憾むなり、卽ち諸公の元老に荷する、事每に禮して重からしめ、以て其自家の功業を立つるを便にし難助の閣僚を遠けたる如きは、却で吾徒の之を首肯して諸公の其功を就す漸く近きを慶するなり、然れとも諸公の過巧なる、時に影の形に隨ふ如く、人をして知らず知らず疑を存せしめ、山縣侯門庭の帚痕拂へは又印し將さに藩閥有終の名譽討露の大功を諸公の手に收むるに於四十九
五十て、行影の丈大に屬して、其實の尺小に歸するなきかを恐るるなり、諸公更に重きを元老に荷せよ、諸公は締盟國に通牒を致すに於て、先つ〇〇を決し、〇下に於て元老結局の處決を問い、其の怯露の耄者をして、二言なからしめたりと聞く、形式的空文の往復は、固より今日に用なし、露國の漸く滿州獨占の不利を認むと稱し、滿州諸府の開放を聲言せる、或は其結果ならさるなからんや、而して其聲言の反面、又た如何なる陰謀の伏在せるや知るべからす、奉天大東溝の開放何そ限らん、哈爾賓ニコリスクの開放亦た何そ限らん、旅順浦汐の開放亦た何そ限らん、露國たる者固より之れを開放せず而して其自ら滿州獨占の不利を認むと稱し、而して其優に獨占に足るの兵備に孜々たる、之れ其の眼前の行動にあらずや彼れは伐つて其爪牙を挫き致命の創を加へずんは、遂に滿州の獨占を絕念する者に非ず、特に滿州の獨占を絕念せさる而已ならす、東亞の畧奪を絕念する者に非す、日本帝國の興敗實に討露一擧に決す、諸公丞かに之れを斷せよ、吾徒の言はんと欲する所のもの猶ほ多し、然れとも事多く諸公の機密に屬するを以て論攻を費やさず、諸公一に能く默肯せよ、唯た諸公の事局に處するの行動間ま吾徒の意を强ふするに足るものありと雖とも、吾徒未た必しも諸公の決する處討露にありて存するか、將た一步を緩ふして彼をして一時滿州開放に已ましむるか再ひ期すべからざるの大機を與國の容嘴に逸せん乎を知らず、諸公皇國永遠の存立を以て任せは、今日北方の謀を干戈なきに終るなかるべし、吾徒は諸公の行動如何を見て、大に決する處あらんと欲する者なるが故に、其管見を陳し、之れを諸公に〓く、諸公の决する所一に討露にあ五十一
五十二りて存せは、吾徒は天下の民衆と大功を諸公に献し、藩閥有終の美名を于古の國史に大書するを吝まず、元老何ぞ諸公に加へん、黨人何ぞ諸公に加へん、貴族實業家亦た諸公の指頭に役せんのみ、唯た今日の一擧、天下耳目の諸公に寄する太た多し、諸公其れ秘密策下大機を逸する、從來の閥閣の如くならは、皇國存立の基礎又た益ます危きに陷らん吾徒は首を伸はして玆に諸公の將さに就さんとする處を俟つ、言辭粗硬推讀を祈聞子稿
五十二りて存せは、吾徒は天下の民衆と大功を諸公に献し、藩閥有終の美名を干古の國史に大書するを各まず、元老何ぞ諸公に加へん、黨人何ぞ諸公に加へん、貴族實業家亦た諸公の指頭に役せんのみ、唯た今日の一擧、天下耳目の諸公に寄する太た多し、諸公其れ秘密策下大機を逸する、從來の閥閣の如くならは、皇國存立の基礎又た益ます危きに陷らん吾徒は首を伸はして玆1諸公の將さに就さんとする處を俟つ、言辭粗硬推讀を祈る開子稿版再最新滿州圖(定價企五拾錢)本圖は露領西比利亞の東端より旅順、大連、滿州一帶の精圖にして鐵道、村落、市府、山川、原野、鑛山、其他一切の事細大漏す所なし本會の前版を頒布するや軍事、實業の諸大家大に之れを稱賛し忽ち五千餘を蓋せり今や北方の問題更に其急を促し世の本圖を要する者益多きを加へ來りたれば著者等其遊歷の踏査實見に徴し又た復た再版に附し江湖諸彥の求めに應せんとす北方に感あるの士は必ず一本を座右に具せよ版再露西亞論(定價金四拾五錢)露國鐵道全圖附
韓海通漁指針(定價金貳圓五拾錢)朝鮮沿岸圖附本書の有益なることは二六新報揭載の批評に依りて知らるべし韓海通漁指針の評黑龍會は嚮きに最新滿州圖露國鐵道全圖及び露國東方經營部面全圖を出版し、東方地理上細大の形勢を天下に知らしむることに於て旣に力めたり、然るに今や又局面を轉じて海上及通漁上より朝鮮を研究し來り、而して國民をして新に短艇一棹の外に無盡藏の遺利を探ぐることに注意せしめんと欲す、黑龍會の事業とする所、愈々着實なりと云ふべくしで世人の同會に對する之より益々重きを加ふるに至らん、今其韓海通漁指針の記す所を見るに第一章には我通漁の沿革と、通漁に關する一切の規則を揭げ、第二章には現存せる通漁粗合の規約より漁夫の取締及び漁夫の受くべき總ての利便を說き、第三章には通漁に關係ある朝鮮六道の沿海地理及び各漁港間の里程を記し、第四章には潮流潮汐氣象等を論じ、第五章には重要水產物の種別、特質、漁法、產地を詳録し、第六章には通漁者の現狀より各道に分布せる實況及び今後改良擴張を要する諸點を悉くし、第七章には重要漁業の狀勢を明にし、第七章には捕鯨業、第九章には漁獲物處分皈賣の方法を示し、第十章には外人の捕鯨業、第十一には韓人の水產業を說き、第十二家に玉り着者の輯誰道過に對する希望を述べて此書を結ぶ更に附錄として日韓修好條約、海關稅則、居留民規則等、朝鮮通漁者の知らざるべからざる諸要件を載せ。全編總て五百頁餘其通漁上の注意と觀察との周到綿密なること正に空前絶後の價値ありと云ふも溢美ならず、唯吾人は此の如き好著述が政府の保護の下に生存せる責任當局者たる朝鮮漁業組合の手に成らずして却て靑年遠征家の圓體たる獨立經營の黑龍會より出でたるを遣憾とせずんばらあざる也内田良平著版再柔道(定價金貳拾八錢)口あり筆なし筆あり實なし嗚呼百術一誠に如かず誠の結果を術に見る果然人間裸體に生れて裸體に逝く人の世に立つ方さに何をか賴まんや柔道なる哉柔道なる哉内田良平氏の自ら斯術を〓めて斯道を知るや死生の地を踏み而して死生の外に得るあり柔道の妙言ふべからず言はずんば何を以て廣く之れを傳ふを得んや是れ本著の巳むを得さる也斯道を攻むる者細讀あれ三
取發明治三十六年八月明治三十六年七月三十日印刷同賣印印發行兼編輯人捌次行刷刷所所所所人二日發行東東京芝區芝公園第十六號ノ六韓國釜山幸町三丁目二十三番地東京市芝區芝公園第十六號ノ六東京市芝區芝公園第十六號ノ六韓國釜山幸町三丁目二十三番地東京京神神田田有東表黑黑内宮葛(定價金拾錢)橋神龍龍通保田本會會生町町斐京日海活鐵本外修版之々本闇堂部部所助吉
本圖は滿州天下無比の良圖也此際苟も北方の形勢を知らんと欲する者は蓋し一日も本圖なかるべからず及ひ各師團將校諸外國よりの注文甚だ多し其眞價は中外各新聞の評論に就ても之を如るべし實に當今して尙某國の秘密圖をも參照し而して本會員踏査實歷の報告に考へ新たに製版せる者にして參謀本部理は勿論社會的、同同大發露國東方經營部面全圖賣西比利亞、行捌政治的、所所イルクーツク、商業的、軍事的、東京神田區一橋通町七番地東京芝區芝公園拾六號六番蒙古、東京神田表神保町東京日本橋通三丁目の地理上に缺く可からざる北〓、東有丸黑朝鮮、龍より浦潮斯德、善會京斐金四圓五拾錢九枚綴切書出切の經營を網羅せる良圖に樺太、版に至る迄の山川地圖堂閣林部
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029542-000-4 81-913対露の危機葛生修吉/編M3 6 BAG-008 3

