二なきや久し、官吏風紀の墮敗、政黨節操の墮敗、と〓育宗〓の墮敗は直ちに上下淫奢の俗をなし、而して歐米列國東洋を侵かすの勢、春潮の大江に遡るか如く、〓韓の衰運已に亡期に入り、亞細亞の振作聖智ありと雖とも亦た如何すべからず、諸公今ま何の謀ありて斯の頽勢を囘さんと欲する乎、諸公の内閣に立つや其時功の顯著なる者三あり、曰く日英同盟、曰く賣債の成効曰く妥協の成立是れなり諸公は卽ち其功あるを以て功となし、頽運を眼前尺寸の間に防くの道を得たり、惜らくは其功をきを以て功とるし、百年の計を立て政黨の蒙を啓き俗論を排除して、大に聖明の鴻旨を補翼せさるを、列國爭奪の間に於て、一國の建立を全ふせんと欲せは先つ國の尙とふ處を明らかにし、而して後其向ふ處を定むるにあり、故に爲政者宜しく其尙とふ所に隨がい助けて長せしむるを要す、英の英たる、獨の獨たる、米の米たる、其富强をなす素因實に玆にありて存す、今之れを諸公に問ふ、日本の日本たる、其一國の尙とふ處の者何物そ、大和民族二千五百有餘年の因習故俗如何之を贅言せずと雖とも明らかなり、乃ち諸公の之れを率ゆる、克く其道を得たる乎、將た其道を失へる乎其長を剪りて其短を助け均しきを謀る、是れ籬牆の花卉材をなささる素より其所なり、曰く我か民族の天資吝質に乏し、故に勤儉の素なし、貧弱玆に因す、誨へて勸めさるべからず、曰く我か民族の習慣彪武に過く、故に柔順の德なし、抗命玆に因ず、誨へて勸めさるべからず、曰く何、曰く何、悔へて勸め以て其俗を移し、之れを、歐米の文明異殊の習風に誘ない、其皮相に戀從せしめて、明治の風俗今日の現狀あるを致せり、文武の醜官、法に上るもの一年の惣計幾百千人、收賄の聲を以三