淺野家文書ちやう□つとのきいのうと一八六淺野幸長書狀緣お成〓〓おちや〓〓ゑんのき、くいしくう絲め殿へ申り、、御たつもあさるへく候、ささくしきあい、いよ〓〓よくまろりふり申候まゝ、御こゝろやすくおそしめし候へく候、めてさくかしく、(株)采を一筆申上らくさとハおちや〓〓ゑんのぎ、う絲め殿まてくハしく申つ將軍機クハー中候きゝ、そのちきるまり中候ハ、志やうくんきな(御中土御ささめよく候へく候、さやうニこれおく候ハさう〓〓このちへう(家康)けさぬいるへく候ブルクへありとも、中上候へく候ヲ称ぬ殿くふし申上らるへく候まゝ御たつ〓おさるへく候、又たうき少ゑもんきお御申おされ候、(土)院長せいねんさ匁御申の事、其まゝこのちへくとさるへく候、めしれき可申候、たゝしう絲め殿ニれうれ候〓、御たつ〓候て、御の不せおさるへく候、めてとくかしく七月十九日よし長よし長(切封ウハ書)わう山よりあさのきいのうミゑん上(長政夫人)長せいゐんさ匁人々御中一八七淺野幸長書狀追而上野殿、今度但馬守ニ御懇之由ニ候之問、爲御禮以書狀申候、御屆候て可給候、可多御事候條、不及御報由、可被仰候、已上、態以飛脚令啓達候、