淺野家文書(附)國報さきてのちん所へとりりけ、今さえちい引収條處おとの中國衆ちんとりより、追々うけいさし候、右之躰うけさ匁ハり、これらもまろ(一吉) (〓正)いいて候。雨雨飛彈牢ハふるく2ル山(付て能間候加藤主計者一所談ニ候、さきての樣子可見及さめ、我等兩度罷越刻、飛彈されら所へたん合(大)手りうニ來候、とうく大ふせをおき、それまてひきづけ候やう3仕て〓鐵砲てと相見え候つる。事外うんし候故でつかり以下もなくさんこそぶされ不申候間、ひきとり候て可然と飛彈も申候、さてされら人數二たんニそおへ申候、一たんを小川御座候むういまてひきとり、さきてそ(飛驒) (主計)れまてひきうけ申候、そのうちひどその、かすへをのハ、山てへつうれ(飛驒)のき中候ひさハ四五空まで、それら人數のjち(のき候右之小川たう人こし申時、我等馬〓おり、てつぞうとおし申候、小川のき2共三度返し申、あしよハきそのともくりのけ申候、三度めの返しの時、我等ひ所ざニ申やりい我等るのみりをえてやとれへよひよせなるへきかと等失太淺野幸長防戶田元一吉續戰利ズ「一吉幸長ノ意見ヲ斥ク〓川人數をたてろさむへきやと申候へハ、ろうくなようと中され候、有(宍戶元續)內ニ志ゝとびぜんのうえきさり候て、基禁入數をえるゐある候ハゝ、中國衆の人數もたてろさめさせへきよー申候間、我等人數いたてうゝめ候間、その方の人數、急度申付らるへきよし申候へ、尤とて参候、いまさうへりたうさるうちよ、中國衆くづを候て、まゝども我等人數のうさへうちもとり候、兩さきの人數とらいれあまりニ無人ニ罷成候間、又ひきとり申候、我等ハ人數めしつを、本ミちすちを罷越候、其〓帶時我等者そうろまへのきこよて、くびを取申候、ひど馬まるしさきへそちて參候間、ささめてひざも本ミちを參へきと存候處、ひざハすぐよ惣うまへさくをやふりこそり候、惣うまへそんき2へ罷越、ひざ見討死え不申候間、うち、まふうと存、ひざうちまふ仕候ハゝいうゝと存、又のり返し申處、我等こまやう瀧川豐前おとゝ申候ハ、ひざハミちちろひ(土計條てきくよりすぐ〓よいり候まく中來候間、右之白かす(ゑの用豚淺野家文書中國勢敗