淺野家文書十三ニ罷成候をの、てきて付候を、我等のりこり、城へめしつき候てゐそり申候、大てのそん口よ加藤〓兵衞、その外かすへ者、大田ひざ之のね申候、一たんたろき所「をんの見つけよひざ被居候、されらひざまあひ候て、かすへハとさつる候ヘハ、二九ニ有之よし申候間、二丸ヘ罷越候、二丸ひろしの口、おしこミ候ところがすへぎしんてつそうを以うちのけ候、西のそん口へてき付申よーニ付て又罷越、ミちよてあひ申候、我等ハまさ本丸の口へ罷越候、かすへその、ひどもの、これらもの、大手の口〓きり出ー候刻、ひざそのくひ七ツ、かすへ者くび壹ツ、我等そのくび壹ツとり申候、そん2きに、てきておひ死人御座候ミ付て、右のくびふもせんさく御座候、加藤かすへおとお加藤〓兵衞ふともきり出候、てきせめあぐミひきまさり、城中とりまきちんとり御さ候處へ、せつういいよひま遣候うすへ人數、船二三十そうよて罷越おしのかせ、てつそううち申事、〓正自ラ鐵砲ヲ放〓正ノ軍勢西生浦ヨリ蔚山三八九一廿四日さつの刻、てきちめかゝり候處、てきまておひ死人事外有之ニ付て、さるの刻とひき志りそき候、此うちふもかすへそのとも、ふふおしのかち、てつそううち申候事、一廿五日をつういのてあてとお不しき人數、城まハりへ來候事、付來廿大日三九加藤與六德門をちロハだけたを守てよち申處印そのよ與左衞門罷出やきハらひ申候事(吉成) (宗永)一廿七日むまの上刻、毛利壹岐守、山口玄番、ふ〓よて物見よ相越、城中と馬志るしをふりあひ申候事、(税) (焼)甘八日て意志を、三丸やくらまふくいきてるて仕候(共、不能成候、此日もかすへその川お之てへ船をの不せ、うちあひ申候、てきておひいてき候躰と、城中〓見申候事、(毛利秀元) (長政) (重利)一廿九日あきのさいーやう、くろ田ろいのろと竹中源介、うさ〓て山口(特許玄番、その見す船まて相遇鮮と馬志そしを城中る見由候そのまーて淺野家文書毛利吉成蔚山口宗永山城ノ後卷ヲ爲毛利秀元黑田長政等蔚山城ノ後卷ヲ爲ス