よ2け、てきちんへ夜うちをうち申事、(度長三年)正月朔日の後城中るつういとして、我等をの一人ひざもの一人うしろまき衆へ書狀をそさせ出し候事、一二日之夜、つういとして、かすへもの一人出く候事、三日之夜絲の刻〓ちめかゝり、四日ノさつの上刻ニひきたりそき候、此夜もてきよておひ死人事外仕出し候事、一四日のミの刻ニ、川手の人數も山へひきあけ候間、城中〓ひざもの二人、其後我等をの、かすへもの船てへつうひニいさし申候、てき大將ちんと見え候は、とるの上刻ニひきくづー候、四日の夜うしろまき衆大將分、何も城中ヘ相こし候事一今度城中まて何も下知以下をと申候へ共、自身てつそうをとおし、か敏せき申儀ハかず(うれらきてうて可有御座候廿四日よりいてごた(株)てよて、少つゝ切々より申候事、城内ト後卷諸將トノ連絡ヲ通ズ明軍退ク後卷ノ諸將城内ニ入ん幸長〓正自カラ鐡砲ヲ放ツ已上二五五淺野幸長蔚山籠城以下萬事覺書(表紙) (押紙)十二月廿二日以後日々之次第と御書立ケ條數々有之高麗之道筋之事御朱印御文言寫し等高麗ニテ萬事之覺書(附箋)二」(慶長二年)十二月廿二日之次第一廿二日之卯之刻、唐人并朝鮮之人數蔚山表ヘ打出、中國衆先手之陣所ヘ取懸候事、一廿二日中國衆先陣ヨリ、巳ノ下刻ニ惣搆ヘ人數引入候事、淺野家文書蔚山籠城(税抜)