西生浦せつろいへ歸宅候事、42一廿七日午ノ刻ニ書來ル、同甘八日之次第by一廿八日未刻、をぞをよせ候事、一廿八日川口ヨリ船をのやせ、鐵炮ニてうちあひ候事、同晦日之次第by (毛利秀元) (長政) |口日未刻五氯季相、照田甲建安、中申速介かきさて山口玄番頭そニ船よて被越、其日せつういヘ歸宅候事、(慶長三年)正月朔日之次第(一吉)一朔日之夜、城中る使として、我等をの貳人、大田飛彈もの壹人出し候事、同二日之次第一二日巳ノ刻、主計人數せつういヨリ、船よて川口へ參着候事、(長曾我部元親)一二日巳ノ刻、長主父子、船數三十艘そうり〓て被越候事一二日木刻、池田伊與守船よて被越候事、一二日之夜、使として、加主計もの壹人出を事、同三日之次第一三日之夜、うしろまきへてあてをおき、子ノ刻ヨリせめうゝり、辰の上刻ニ引退候事、一三日辰ノ刻ニ、城中ヨリ三口へきり出せ事、同四日之次第一四日巳ノ刻ニ、川ての人數山へ引あけ候間、城中ヨリ使船〓うしろまきへ出そ事、四日うしろまき衆、中刻敵可退候ニ相つうれ候事、by一四日木の下刻まて、大將陣と相見え候ハ、城ヨリ十町不と北の山よ陣をすへ、足よハきものをさきへ、くりのくると相見え候事、一四日申ノ上刻ニ、天將陣と相見え候も引退候事