一平野角右衞門尉ニ箭と弓之事、(慶長三年カ)正三日ニゆき候ヲやふる、覺店粉(慶長二年)トウゼイ十二月十五日ニ、タイコニテタンコウ人數ヨすル、柳河一やナカワ日本ヘ遣、今度店將成敗-コントノタイせウ四人せイハイ、一書ヲ小西日本へ二通遣、一通れくよし、今度仕置(生進-コントシヲキノチウシン山玄、(誓紙) (越)一せイシ各ニやふるよし、一アツカタチニテふシンノノハシ候よし、〓〓州一ウる山〓チウシンニけクチウヘヲシノ各々、そん氏ヲそへ遣、これニ300てキツカイ、一うる山ヨリ各々チウシシニアクる、各々判ヲ遣候事、藤さニ而通ホ一ツウシノコトニツキアワイ共事、一書三ツ之內、一ツ判かし、一ツウシビ中ヘノ事、一キタリ候ハゝ筑州への事、(小西)一コニシト中アシキコト(大田一吉)一ナンモンニ而ノけの人を、小西各々ニ被申候、使大飛、一十五日ぶんさきニ遣候つるよし一柳從小攝藏直れとお三人、(有馬アリマコト一イけクチトアリマ書申候、淺野家文書小西行長トノ不和