淺野家文書一上田松本一まつもと兩國ニ於ノ警備ケル諸城(昌幸) (森忠政)一上田さふ田安房守居城羽柴右近松本(康長) (方通)一まつもと石川玄番居城いおそ右近石川けんえ一川中島越後衆(來勝)同沿円(信幸) (京極高知) -ぬまささあ田源三郞居城羽柴修理大夫我輪(直政) (幸長) -ミの〓井伊侍從居城あさの左京大夫前橋(親吉) -まへはし平岩七介居城あさの左京大夫新田) (康政) (高吉) -ふつた榊原式部大輔居城日禰野をりへ右草津御湯治之間、城々請取、御番可仕候也、(秀吉朱印)文祿四年正月三日越後衆- - - -二六九豐臣秀吉朱印狀草津御湯治御とまり〓〓よて御振舞之事秀吉草津湯治途中宿々ニ於ケル振舞(大)一御そおし衆ほめ衆以下、合三百人分、御汁二っ、引さい三つ、い2し類よても可然候、此外御停止ふさるゝ事、扶持〓(前)一御とまりノ〓まて御ふちかと、馬のかい料くとけき候間、わとくしとして、兵粮馬飼おと、音信之儀堅被相留候、出をものも、とるそのも、可逗留爲曲事候、草津御とうそう中そ、右之分さるへき事、相場一八木大豆用所有之ものハ、御藏米を所のらうとよ仕相渡し、金子ハ京都よて可請取事、(秀吉朱印)文祿四年正月三日御はなし衆つめ衆私ニ兵根馬飼ヲ出シ又ハ取禁ズ(秀吉朱印)二七〇豐臣秀吉朱印狀○コノ文書、紙ノ繼目裏ゴトニ、秀吉ノ朱印アリ、條々働(〓正) (行長) (元手動之義、加藤李計頭小西堀津守以國取之上。可爲二日替、世淺野家文書征韓ノ役ニ於ケル諸將ノ部署〓正行長ヲシテ二日替ニ先