附照宮よりハ、本多忠勝、をよひ平岩親吉鳥居元忠等を發向きしめられ、二十日長政ハ忠勝とゝもよ大手にそゝミ、親吉、元忠さ搦手をきむ、長政等たちまち、町口をうち破と、大手に亂入し、火をはふちあおとををむる事急ふるまより、城兵さゝ布〓まとあとハもして和をこふ長政功ろ速よからむこと成れそむ、あきをゆるし、味方北弓鐵炮をとゝめし〓、遂り其き城を集まるふだまりさきな田三度使竹宇都宮其勢をきなお同國忍城を圍むといへとも、要害堅固ルーあ數日を經、太闇こををきゝ、長政〓命して加勢たらしむ、長政むぎク〓人を城內りたろいし、をとひ各あ比城をかゐく守るとも小田原落城もるうへ考、かひなろるへしといふ、城兵なろて降參さんとも長政このよしを三成り語る、三成をのとろ功著たゝさること〓いろり長政ろ功比いよ〓〓大ならん事をねさミ、僞りていひざなた、域中に內座件者あり我ハ朝日久手より攻入む、長政は§曰よす攻るー諸軍勿一同ま取ーよせハ速す陷るへしと眞政スをを太クマととーて、むとつ比橋をわとり、强てきを入けきとも、城兵〓きりり鐵炮を放ち防き戰ひ、三成等グ兵き進ミゐゝろいも、敵いよ〓〓機を得〓もとを防くりより、外郭を破るといへとも、をゝむ事を得も兵士等多く討をて引退く、其後小田原沒落よをよひしクハ、長政ゐの城をう多とふ、七月太閤陸奧國會津み發向し、彼國ろ諸士もと〓〓く命に宏さろふ、もゝゐをい〓石田三成大谷吉繼等と共り、陸奧國ろ田地を撿知し、不日みしてゐき〓沙汰を、今に至りて其制法をえちふ、九月太閤歸京北ゝち、五奉行を成りな、長政其隨一たり、十九年南部大膳大夫信直り老臣九戶修理亮政實、陸奧國〓をいあ諸士をあつ〓、近〓を掠〓、土民をあやまもろきこそあるりよを、關白秀次を大將として進發をしめらる。お北とき長政軍奉行ゑり、東照宮も御發向あ季〓、岩手澤り御陣をもへらる、九月七の日御先手其將非伊直政をよび浦生氏郷等九戶城を國玉大少み殺をざむ、長政さ堀尾可晴、中村一氏等と共に、搦手よと攻寄れといるとも、はやく城門を閉るり故〓乘取事を得す、政實遂り城ろたもちクさきをえろり、其夜むきろみ長政ク陣所りきあり、信直の本領を安堵をし知らをき、速よ城を退くへきろよしを告、長政あきを許諾し、政實をよひ南部ク家臣櫛引出雲某を赦し、其餘數百人を燒殺を、八日政實ふらひみ久慈備前