附家紋瓜乃內〓達鷹羽、長賢元祿六年生る、寶永七年九月二十八日ハしめて交昭院殿よはミゐきてまりて、えきより松平比御稱號を名北る、十二月十八日從五位下兵部少輔よ敍任し、後宮內少輔よ改む、享保十五年五月十一日兄安藝守吉長り收納の內、廩米三万石をわろちうけ、さきより柳間み候を、後代々れれし、延享元年九月二十五日卒に、年五十二閑翁紹幽大通院と號も、品川東海寺比玄性院に葬る、長喬享保十七年生れ、延享元年十一月十九日遺領を繼、ヽ時り十三歲、寬延二年十二月十五日はしをて惇信院殿り拜謁し十二月十八日從五位下兵部少輔に敍任も、明和六年十二月十二日卒に、年三十八、德運仁龍泰潤院と號を、貝塚比靑松寺に葬る、長員延享二年廣島り生る明和六年十二月十日長喬ク病篤きよ臨あ養子せふと、七年二月四日家跡を繼、廩米三万石をうく、十五日はしめて浚明院殿りまみえあてまつり、十二月十六日從五位下近江守り敍任も、淺野又六郞長經り至〓、、嗣あくして家たゆ、なのは主人六因因幡守長治從五位下淺野但馬守長晟ク長男、母々某氏、○事蹟下ニ載ス、항な戊松千代又六郞長尙和泉守從五位下實ハ松平安藝守光晟ろ二男、母ハ松平肥前守利常ク女、〇事蹟下ニ載ス、長藏式部少輔●-長照從五位下實ハ光晟ク三男、母ハ長尙にれれし、〇事蹟下ニ載ス、●女子母n某氏、淺野内匠長矩ク室、1女子母い某氏河鰭少將季緣ク室、大助土佐守●-長澄從五位下附錄五九三