附女子淺野河內守長壽ク養女、-女子野一色兵庫頭義恭ろ養女、女子藪主計忠居ろ養女、長孝色之丞母忠香り女、た大故某家紋丸に違鷹羽、丸に九曜くりむ、長賢ニ直直り實子、釆女正長友生なゝみより、二男に准し、承應元年七月二十六日ハしめて嚴有院殿りまみそをてまりと寛文十一年三月五日長シ直の所似權ゲニ加東郡止うちにをいゝ三千五百石をわらちたるれり寄合に列を、貞享三年十二月六日致仕し、四年五月五日死を、年五十四、法名長賢、貝塚比靑松寺に葬な、のち代々葬地とを、妻ハ前田大和守利孝り女、長武貞享三年三月朔日はしたて常憲院殿に拜謁し、十二月六日家を繼、元祿十一年四月朔日御書院番比組頭となり、十二月二十九日布衣を着すな事をゆなさる、十三年八月二十八日御先銕炮比頭リ轉ず、十四年三月十五日淺野內匠長矩り事によりて出仕をとゝめら於、五月六日ゆなさふといるとも、かを拜謁をそゝかり、六月二十五日ゆるさる十五年十二月十九日はきに長矩り舊臣大石內藏助良雄等四十六人黨與し、主人比讎を報ぬる差よし成唱へ、吉良上野介義央ク第宅に亂入し、りぬり義央を殺害せしにより其事に坐しあ出仕をとゝめられ、十六年三月八日ゆなさぶ、正德二年正月十一日御持弓比頭りうりと、九月二十一日死も、年五十、法名全中、妻ハ長賢り女、後妻ハ甲斐庄飛驒守正親ろ女、