附女子神尾安次郞元孝ク妻、某鶴太郞早世、女子중ふ長盈賢之丞母ハ康滿ク女、〇事蹟下ニ朝之進致安平次郎女子服 大家紋丸リ鷹羽右重九曜くつし、長恆寛文十年二月二十八日としめ〓嚴有院殿に拜謁を、三歳、時3十十一年三月五日長直ら封地搆関圍赤桃郡外うちにをいゝ、架架田三千石をりちたまひ、寄合り列も、元祿六年五月十日御使番となり、十一月十七日仰をうきたまいり御目付り代りて日光山みたもむく、後ゑそ〓〓こみ事をつとむ、十二月十八日布衣を着そな事をゆなさる、七年目付代として大坂りあるの時、織田伊豆守信武故あてて自殺をしまより十一月七日あきを撿察をへき北旨仰をうをあるハり、かの領地大和國松山りおもむく、時〓其はろらむ御旨り適ふろよし、奉書も〓賞譽をらを、物をさまふ、十一年喜知姫君逝したまふよよで、七月七日頓比御使をうきあるハりて、尾張國名護屋よたもむく、十二年二月二十八日山田奉行よ轉し、十三年十二月二十一日從五位下美濃守に敍任も、十四年三月十四日淺野內匠長矩の事よ座して出仕をとゝめらを、五月六日ゆなさる、お比日職を奪いれ、な茲拜謁をはゝクを、六月二十五日ゆるさな、十五年十二月十五日長矩ク舊臣大石內藏助良雄〓事によて、出仕をはゝクり、十六年三月八日ゆるさる、正德元年五月朔日堺奉行とある、享保三年七月九日大和川、新大和川、石川等も支配の地たるへきむね、奉書もそ仰下さな、六年十月十七日紀伊國和歌浦東照宮比御宮、をよひ其餘乃神社よ奉幣の御使をにとむ、後はの事により時服三領ををまふ、十四年七月二十五日老を告て職を辭し、十七年閏九月七日死を、年七十五、法名良啓、高輪比泉