附-女子錄家紋丸よ違鷹羽、丸に三引、氏重慶長三年井伊直政、大久保忠隣を先容として、そしめて台德院殿り時3十拜謁を、歳.みなよてめき終て御小性をはとを、下總國香取郡あうちみをいて、釆地二千石を知行し、五年上杉景勝汝御征伐のとき供奉して下野國宇都宮りいさふ、時〓眞田昌幸を攻たるハむとて、信濃路り御出馬あまといるとも、氏重ハ若年たるりゆへ、仰よよをて江戶まろるる、關原ろ役をハりて後使者も〓御起居を窺争たとに、御書を賜ひ、天下平均きし比條、心をもうなるき比よー仰下さふ、十年御上洛のとき、亥さろひたくまりま、十九年大坂比役り、松平越中守定綱り屬し、元和元年比役まも定綱りゑとクひ、氏重か手り敵首五級を得さり、寛永五年十一月五日死も、年四十一、法名宗白、高田北寳祥寺り葬る、後代々葬地とい、妻ハ八橋大和守直弘り女、氏吉父ク遺跡を繼、小普請とれて、延寶二年四月七日死を、年五十二、法名宗圓、15石時数十天和二年六月三日御小性組正氏延寶二年七月十二日遺跡を繼、五歳、の番士り列し、元祿四年閏八月十二日御使番とれて、十二月二十六日布衣を着もる事をゆるさる、五年金森出雲守賴〓ろ封地をうりさなゝにより、九月朔日仰をう多たるハりて、飛騨國高山りたもむ〓、城受取比役をたとむ、十一月御目付をうをふるハりて、日光山よれえむく、ろちゑと之を此事をはとむ、十三年二月十五日御目付み轉し、寶永二年二月十五日御先銕炮の頭りうりま、三年十一月二十六日より西城り勤仕し、六年十月二十九日務を辭して寄合り列を、正德二年四月十六日死を、年五十三、法名淨安、妻ハ氏吉り女、氏備正德二年七月二日遺跡を繼、二十一日はしめあ文昭院殿り拜謁も、享保四年七月四日はきり釆地ろ農民等出訴せしによる糺明をとあられ、罪科よ處さらな、是等比事、從者等りはあ〓をきし事、等閑ろ至りふと