Info:ndljp/pid/887377/15

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で拝見いたし其上にて取計ひ申すで御座らう尤も江戸表の御用も已に相濟み船中の薪水粮食も今日中に積入れ順風次第明日にも出帆いたし申す積りに御座れバ右の囚人明朝までに御渡しある樣に仕り度その節大隅殿への御受書御渡し申すで御座らう糟「相分つて御座る即ち其賢次郎と申す囚人ハ拙者附添ひ當地の揚屋に入置たれバ明朝辰の刻(午前八時)を以て當船へ召連れ引渡し其節貴殿の請書も受取るで御座らう」と約定し夫より徳兵衞ハ右の兩士を馳走し異国の品など差贈たれば兩士ハ深く喜びて去にけり 翌朝に至り糟谷仁田山の兩士ハかの囚人の島田賢次郎をば藤丸籠に入れ其上に網を掛け小船に積乘せて召連たれば、永寶丸にてハ荷物の揚卸しに用ふるセヒ車にて引上て徳兵衞が前に舁据たり、徳兵衞ハ此の囚人を受取りて一先づ荷倉の内に入れ番人を附置て警固させ南郷大隅守への返書を認めて渡したれバ兩士ハ御用濟にて上陸したりけり。斯て其日ハ徳兵衞が豫て期したる如く午頃より順風吹たれば錨を巻上げ真帆を開き永寶丸ハ浦賀を出て相模灘も僅の内に打過ぎて其夜の半にハ早や下田の見崎を過ぎり翌三十日ハ遠州灘十月朔日にハ紀州沖大王の岬を廻り二日の朝に泉州堺に着き此にて荷物を積入れ四日の朝に出帆して長崎に向ひ夫より暹羅並に天竺へ渡るべき航路にぞ就にける。徳兵衞ハ堺の浦を船出してより何思ひけん小頭役の磯田武平を呼び「兼て浦賀表にて南郷大隅守殿より預つたる囚人の島田賢次郎こと船繋りの其間ハ船中ながらも世間への聞えもあれば荷倉に戒め置たれど漫々たる海上に於てハ其の氣遣ひも無し罪人と云でう高が切支丹伴天連の宗門を信仰したるだけの科なれば強ちに極悪人と云ふでも有るまじ其者の戒めの繩を解き航海中ハ心任せに遊歩させ三度の食事湯浴起臥ともに都て乘組のもの同樣に致し遣はし但し入水など致さぬ樣に番の者を兩人づつ晝夜とも附置べし」と達しければ磯田は不審の色を成し「じやと申して公儀よりお預けに成たる大切の囚人その戒めを切解きては……徳兵「ハハア是や磯田、公儀の揚屋に於ても其中に入置るる中ハ繩を掛ねば枷をも[#「金+骨」]ぬで無いか此永寶丸の船中を賢次郎が為の揚屋と思へば夫で濟むこと兎も角も其賢次郎の繩を解て是へ召連れられよ磯田「船長にて左樣御決心の上は強て申上るにも及ばねど然ば繩付のまま是へ召連ませうに由て一應御理解の上でお解き遣さ

<trjpft> 「天竺徳兵衛」: 前頁 | 次頁 近代デジタルライブラリーの当該頁へ <astyle><gstyle>新旧字混在</gstyle><kstyle>仮名遣い混在</kstyle><tstyle>Wikiのみ</tstyle></astyle> </trjpft>