Info:ndljp/pid/781562/13
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の人で岩橋萬蔵と云ふ人に相談をし、岩橋より又、大 坂の千種屋と云ふ紳商の平瀬安兵衛に相談して、其の 平瀬が金主となつて、略ぼ事業の基礎だけは成り立ちま した、
さて計画か成り立つたに就いては、社長も要る、事務 所も要るから、此の藏経開版の事務所を「弘教書院」と 名づけ、…之は私が名けたのです…山東直砥を社 長に仰いで、事務萬般の整理に着手しました。
ですから、最初の計画はまあ是だけの人数であつた ので。それから後には随分種々の人も入つて来ました、 勿論私共などは、藏経の開版せらるるのを主として望 んだのであるが、また多少、其間に利潤を望んだ人も ある處から、自然面白くない人物もあり、面倒なことを 云つたものもあつて、種々の変動もありましたが、兎 に角、始から終まで継続して、弘教書院の為に努力し たのは、
稻田 佐吉 色川 誠一 山内 瑞圓
山東 直砥 島田蕃根
の五人でした、其中でも、一番効績のあつたのは、山 東と、色川の両人です、
五、印刷の準備
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