Info:ndljp/pid/887377/14

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て詞も無く漸うにして徳兵衞の顏を打眺め何やら見覺のある樣に思ひて考え出せば思ひ掛けなや先刻浦賀の波止場の磯邊にて出逢ひたる船頭にてぞありける 斯と見るよりも徳兵衞は糟谷仁田山の兩氏に向ひ「先ほどは船塲に於て失禮いたせし段は平に御免下されよ」と挨拶すれば兩士は赤面しながら糟谷「イヤ御互に知らざる事とて粗忽の次第必らずお氣に掛らるな」と返答して手持不沙汰に見えたりける、徳兵衞は重ねて糟谷に向ひ「去にても此徳兵衞が身なり形只今と先程とは餘りの變り樣と定めて御不審にも思さるるべきが私し事不肖なる船乗には御座れども御覧の通り大切なる御朱印を預り又或時は恐多くも将軍家より異国の王へ下し置かるる御国書をも預り奉り御使の役を相勤めますれバ船乗ながらも鎗一條の侍に仰付られ既に兩三度も御前近く召寄られ異国の事ども親しく御尋ねに預かる身分、併し乍ら身分の威光を肩に着て町人百姓を眼下に見下し虎の威を狩る振舞ハ徳兵衛甚だ嫌ひに御座れバ凡そ異国交易の荷物賈捌方またハ買入方の用向にて諸商人と對談取引等をいたします折にハ平常町人か船頭の形を態と仕る習ひ即ち先程御目に掛りましたる時も船中の入用品賈入の為に浦賀の問屋へ參つた所で御座りましたれば御不審に思し玉ハらざる樣に願ひ申す」と詞涼しく事の理を話し、扨これより宗門奉行南郷大隅守殿よりの御用承ハらんと申けれバ、糟谷ハ床几を進めて懐中より大隅守の下知状一通取出して徳兵衞に渡すにぞ是を請取て一覧すれば    一此島田賢次郎と申もの切支丹宗門之者なりと訴人有之候に付其許預之黑船に請取相乗せ嚴重に手當可被致候尤も仕置振之儀ハ日本地方を相離れ候より三日目に至り別紙封状相開き下知之通りに可取計候猶糟谷灰五郎可申談候以上   元和八年九月二十五日    南郷大隅守 花押            山田徳兵衞殿

との文言にて糟谷ハ別に大隅守の封状一通取出して相渡したれば徳兵衞ハ篤と封印を改めて「大隅殿よりの御状慥に拝見仕つて御座る御差圖に從ひ其の島田賢次郎とやらん申す囚人本船に受取り嚴重に手當仕り猶この別紙ハ期日に及ん

<trjpft> 「天竺徳兵衛」: 前頁 | 次頁 近代デジタルライブラリーの当該頁へ <astyle><gstyle>新旧字混在</gstyle><kstyle>仮名遣い混在</kstyle><tstyle>Wikiのみ</tstyle></astyle> </trjpft>