Info:ndljp/pid/820886/28

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さず師拜借を請へとも允さずいかんともする ことなし乃ち事を 前の攝政近衛の大閤基 煕公に嘱て一言の命を蒙らんとす 公大に 随喜し乃ち上都土木の總管中井主水正を使と して事を建仁寺の諸大德に達す 公の台命 九鼎より重し諸大德辭退することを得ず随喜 して之を允す然れ共定を守り持去ことを許さ ずまた何ともすることなし因て對校の僧衆猶 書生の講釋の筵に走るが如く朝に建仁寺に赴 て晩に獅谷に還る風雨寒暑の辛勞言を以て述 べからず 公の志護法に厚しその艱難を慮 て復 台命を建仁寺の諸大德に降したまふ て經藏の掟弛て門外に持出ん事を請玉ふ建仁 寺諸德者 台命の懇なる御言かたく辭退す ることを得ずこれを允して一度に五十函を借

與ふ但し一切經出入に鐘を鳴し一山經藏に集 り會すここに於て獅谷の客寮を掃除して對校 所とす時寶永三年二月十九日に始め同七年四 月に至る目には秋の紅葉を四たび見耳には春 の鴻五たび還る響を聴て前後對校三遍するに ただ經本の文字點畫偏旁の錯或は一字一句若 四五字二三句も脱又は増一枚二枚一巻二巻の 増減みな寫し取り一字一點の差ひなき善本と なるこの一本を拜見すれば勞なくして北藏と 朝せん本とを一目に拜閲す實に日本無双の一 切經なり師また大藏對校録百巻を選び輯んと 志ざすたまたま徴の疾ひをうけ師大衆に告て 曰我願すでに成就し以て國恩を報じをはるし かれども我疾いゆべからず百巻を集ること能 はず後の學者を待つと後世師の志を継者は入信

院の妙導上人及び師の末弟澂運公等なり亦寛 政年中これを賛成せんとする者は縁山統誉大 僧正嶺誉大僧正宣契常人仰願上人なりこれの 助刻の主たる者は武州下戸田邑の金子善四郎 及び了阿上人なり百巻を校正せんとする人は 典壽沙彌等なり。しかれ共大業なる故にいまだ 果たさず又師慧琳師の一切経音義百巻支那の南 北両藏に闋漏し唯建仁寺朝鮮の一切経の中に あり師乃これを覧て痿人の起ことを得盲者 の視ことを得旱に雨くだり疫癘の人名醫に逢 ひ飢たるものの食を得たるが如く歡び即ち人 に寫させ版に刋て世に弘めんと欲し已に十餘 巻梓に刻む師病ますます重し因て校正を五智 山如幻和尚瓔珞庵の敬首和上に托す後に獅谷 の主寶州上人および氏の末弟上人澂運公

<trjpft> 「獅谷忍澂上人行状記」: 前頁 | 次頁 近代デジタルライブラリーの当該頁へ <astyle><gstyle>新旧字混在</gstyle><kstyle>仮名遣い混在</kstyle><tstyle>Wikiのみ</tstyle></astyle> </trjpft>