Info:ndljp/pid/820886/29
等うの志を繼いでこれを版に刻み頒ち行ふ學者 これを得て悦ぶこと先の如しここに於て師の 願圓成す同五年師六十四歳獅谷不断念佛相續 し十一月七日正當一萬日みつ大衆會合評議し て曰冬はかん氣さかんんいして老若男女ともに 往来に頼まん且は歳の抄人情せまる来年の春 艸木榮?花咲時萬日回向を市町に標し諸方に 告て廣く結緣させんと欲す師これを聞て曰な ん?一萬日に滿日をのべ促するや抑この獅谷 不断念佛は先師萬無大和尚臨終の別行念佛な り大和尚臨終の時予に告て曰もし相續料とぼ しく相續に澀ることあらば或は中陰或は百ヶ 日を限とすべし夫より後は汝が意に任すと余 これに應て曰これこの念佛歳月日數を以て限 るべからず遐に末法萬年餘經悉滅の時を期と
すべしと大和尚大に歡喜したまふ嗚呼大和尚 遷化し余跡を繼て香積とぼしからず年月の長 く結衆うまず光陰はやく移て一萬日に至るこ れみな大和尚の餘光なり我ひそかにこの功德 を回向して大和尚の恩に酬ひ且は法界の衆生 に及ぼさん我こころ確く十一月七日を回向の 期とすこの議へんぜじ且貴賤群参し日々閙し き時は修行の障となる回向の日限つつしんで 弟子の外餘の人に泄すことなかれと制せらる 然といへども聞傳人ますます信心し十一月朔 日より七日に至るまで参詣の僧俗男女門内に みつる遂に七日正當一萬日の念佛を回向し卽 ち復第二萬日を開白せらる回向と開白に結緣 する輩みな歡喜して去る同六年師六十五歳師 弟子等に告て曰く我世間の人を觀に暫く家業
をはなれ靜に別時念佛を修行せんと?もふ人 あれどもその所庵室等なきゆえにその志を遂 ざるものあり我境内の中に小庵を建て別行の 道場とし志ある人をして靜に別時を勤させん と欲ふと時に京都の培蓮居常宇隠士(勢州松坂中川氏の 主なり大原の澄禪和尚に歸依して弟子となる和尚の行上記を作りし人なり)師の願望を聞 て大に随喜し乃ち家族の先亡精霊の追善の爲 に金子若干を施入し師の志を助く程なく師疾 をうけこの望を成ぜず因て遺命して曰別時道 場すでに隠士に約す命終後我ために必ず庵室 を建て別行の道場とし余平居念ずる阿彌陀佛 の尊像を安置すべし且區々たる我像を造るこ とも素より願ひにあらず若汝等丁蘭木母の孝 養を慕ひこれに效はば本堂に安ことなかれ何 となれば佛殿には開山大師及び中興和尚の眞
像あり予不德の身にてその座に列なること畏 あり宜く余像を別行道場霊牌壇の側に?きう の道場を金毛院と名くべしと弟子師の遷化後 に?よんで遺言を守り別に庵室を山内に建て 師の遺蹟とす 普明院法内親王また之を隨 喜したまひて乃ち自手毫を濡して金毛院とい ふ額字を賜ふこれを
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「獅谷忍澂上人行状記」: 前頁 | 次頁
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<astyle><gstyle>新旧字混在</gstyle><kstyle>仮名遣い混在</kstyle><tstyle>Wikiのみ</tstyle></astyle>
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